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人類の友

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事はフランス語版ウィキペディアにある同じ項目の記事2009-06-28の版から翻訳された記事である。
この記事は英語版ウィキペディアにある同じ項目の記事2010-08-05の版から翻訳された記事である。

人類の友(The Friends of Man ;Les Amis de l'Homme)は、かつて「ものみの塔聖書冊子協会・スイス支部」(1898年設立)の支部役員であった、フランス系スイス人のアレクサンデル・フライターク(Alexander F.L. Freytag ,1870-1947)によって1916年にスイスにて設立されたキリスト教系の新宗派である。 彼は最初にグループの名を「主の天使」(The Angel of the Lord)(この名称は「啓示の書(ヨハネの黙示録)」を基に霊感を受けて名づけられたとされる),また「エホバの天使聖書冊子協会」(Angel of Jehovah Bible and Tract Society)、などと名乗り、その後は「神の王国教会・人類の友いつくしみの集会」(Church of the Kingdom of God or the Philanthropic Assembly of the Friends of Man) という名で組織を設立した。 

沿革

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フライタークは、彼自身による個人的な見解を発表し、「聖書研究者によるラオデキヤへのメッセージ 」(Le Message de Laodicée)と称するものを出版した頃にグループの活動は開始された。また彼は、ものみの塔(Watchtower)の創始者チャールズ・ラッセルの合法的な後継者であるとも主張していた。ゆえに彼は、当時ものみの塔2期目の会長であったジョセフ・ラザフォードによって、1920年に「ものみの塔聖書冊子協会」から追放されてしまった。[1]彼は、「正義の統治」(Le Moniteur du Règne de Justice)という月刊誌、および大衆向けの週刊の会報誌(Le Journal pour tous)の、2冊の機関紙を出版した。
イタリアでの最初のコミュニティ(会衆)はトリノで、セバスティアーノ・チアドラ(Sebastiano Chiardola)によって1946年に設立された。[2]

  • いわゆる『エホバの証人』(ものみの塔)の分離派であるが、エホバの証人とは名乗っていない。

信条と実践

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この派の神学は、秩序の回復(復楽園)と千年期王国説などキリスト教の根本的な教えを含むものである。それらの信条は『神聖な啓示』(The Divine Revelation ;La Divine Revelation, 1920),『人類へのメッセージ』(The Message to Humanity ;Le Message à l’Humanité, 1922),『永遠の命』(The Eternal Life ;La Vie éternelle, 1933)など、フライタークの著作集から見いだすことができる。 この派は“良いたより”すなわち聖書の教えを実行することによって、人格を変えてゆく必要を強調している。信者らは144000人の選ばれた者だけが神の王国の構成員とされ、天に行くことが許されると信じている。また、彼らはキリスト教の主要な教理である三位一体をいっさい認めず、唯一の神であるエホバ(Jehovah)の存在を信じている。[3] また彼らは菜食主義者(ベジタリアン)でもある。[4][5]
1951年に、宗教的な教理の多くや組織の方針は転換され“神の王国教会”(Church of the Kingdom of God)という名称は法人名から抹消された。 その後は、恵まれない人々の救済支援や、災害救援活動、貧しい農民への物資の救援など、慈善運動に更なる方向転換をした。[6]
彼らは、年2回の祝祭日、「万軍の主」の祝日(4月18日)と「小さな群れ」の祝日(10月18日)を祝う。毎週開かれる4つの集会は、おもに創始者の著作集の研究のために捧げられる。バプテスマ(洗礼)と記念式は、フランスでは行われず、隣国のスイスの支部で執り行われ祝われる。[7]

組織

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この派は、後年にはエドアルド・ルフェナー(Édouard Rufener)、その後はマリー・ルーリン(Marie Roulin)、さらにその後はコーリ(Mr. Kohli)のリーダーシップのもとで運営され、古参の長老がコミュニティ(会衆)を監督していた。[8]
本拠地はスイスジュネーヴ州カルティーニ(Cartigny)にあり、ここが伝道の拠点となっている。[9]隣国のフランスでは、南西地方に強い宗教勢力があってロット・エ・ガロンヌ県のOrmeauxに移る以前より、国内の拠点がパリの第11区のRue Amelotに位置している。毎年1~2度の、講演会と芸術的な催し物とコンサートから成る“大会”が開かれる。[10]地域の大会は、ヨーロッパ諸国、アルジェリアとモロッコでも開催されている。[6]
ヨーロッパを中心に約71,500人もの信者がおり、本拠地のあるスイス、ドイツ、フランス、ベルギー、英国、アメリカ、メキシコ、ブラジル、カナダ、オーストラリアを含む20カ国、とりわけイタリアで活発である。[8]

  • 2010年9月・現在において、日本での活動は確認されていない。[11]

分離派

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1947年、フライタークが死去したとき、彼の追随者のひとりでありローマ・カトリック系の学校教師でもあったバーナード・セイアス(Bernard Sayerce ,1912 - 1963)は、自分こそがフライタークの後継者であると主張した。当時900ほどあった、ほとんどすべてのフランスとベルギーの集会はこの新しいグループに加わり、1958年から1962年までの間に9700人もの信者で満たされた。[12]1963年に「親愛なるママ」と呼ばれたリディ・サルトル(Lydie Sartre ,1898 - 1972) 、その後1971年にはジョセフ・ネラン(Joseph Neyrand ,1927 - 1981)が、セイアスに代わってこの組織の指導者となった。1984年には、この派は"Amis sans frontières"(フランス語で「国境の無い友」)と名づけられた。[13]

宗教問題

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脚注

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  1. ^ La Chiesa del Regno di Dio”. Cesnur. 2009年6月28日閲覧。(イタリア語)
  2. ^ Freytag, Alexander F. L. (1870-1947) e Chiesa del Regno di Dio”. Eresie. 2009年6月28日閲覧。(イタリア語)
  3. ^ Le christianisme unitarien en France - une étude sociologique”. barbeyphilippe. 2009年6月28日閲覧。 (フランス語)
  4. ^ "ÉGLISES, COMMUNAUTÉS ET SECTES, par Dr. Wilbert Kreiss - Les Amis de l'homme"”. egliselutherienne. 2009年6月28日閲覧。 (フランス語)
  5. ^ 彼らは、ほかにも喫煙とアルコール、コーヒーと紅茶などの嗜好品を避け、性的な不品行を避けるつましい生活を送る。(it:Chiesa del Regno di Dio/Punto di vistaの項を参照)(イタリア語)
  6. ^ a b Des ≪ sectes ≫ dans la France contemporaine - 1905-2000 - Contestations ou innovations religieuses ?, Jean-Pierre Chantin, Privat editions, Toulouse, 2004, pp. 48 (ISBN 2-7089-6855-6) (フランス語)
  7. ^ "Les Amis de l'homme, de qui s'agit-il ?", from Dictionnaire des groupes religieux aujourd'hui - Religions, églises, sectes, nouveaux mouvements religieux, mouvements spiritualistes, by Jean Vernette - Claire Moncelon (PUF editions).”. Prevensectes. 2009年6月28日閲覧。 (フランス語)
  8. ^ a b Les Amis de l'homme, description”. Info-sectes. 2009年6月28日閲覧。 (フランス語)
  9. ^ RELIGIONS > MOUVEMENTS CHRÉTIENS LIBRES > AMIS DE L'HOMME”. Quid. 2009年6月28日閲覧。 (フランス語)
  10. ^ e.g. at the Parc des Princes in 1948 and 1949, in Bordeaux in 1950 and in Toulouse in 1951
  11. ^ 『クリスチャン情報ブック』(年刊)いのちのことば社,『キリスト教年鑑』キリスト新聞社,クリスチャン新聞,各クリスチャン情報誌 参照。
  12. ^ "Le non-conformisme sectaire en France. Problèmes de recherche", Jean Séguy. Revue de sociologie française, 1965, vol. 6, n° 6-1, p. 45.”. Persee. 2009年6月28日閲覧。 (フランス語)
  13. ^ Des ≪ sectes ≫ dans la France contemporaine - 1905-2000 - Contestations ou innovations religieuses ?, Jean-Pierre Chantin, Privat editions, Toulouse, 2004, pp. 46-7 (ISBN 2-7089-6855-6) (フランス語)

参考資料

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  • 『エホバの証人の年鑑 1987』 ものみの塔聖書冊子協会(1988年) p.126-127
  • 『エホバの証人 - 神の王国をふれ告げる人々』WATCHTOWER Bible and Tract Society of Pennsylvania,ものみの塔聖書冊子協会(1993年) p.628

関連項目

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以下、日本語の情報

外部リンク

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