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人民社会党 (スペイン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 スペインの政党
人民社会党

Partido Socialista Popular (PSP)
総裁 エンリーケ・ティエルノ・ガルバン
創立 1968年
解散 1978年[1]
政治的思想 マルクス主義社会主義
政治的立場 左翼
国際連携 社会主義インターナショナル

人民社会党Partido Socialista Popular、略称PSP)はかつて存在したスペイン政党。1968年に大学内の組織としてPartido Socialista del Interior(内部の社会党の意、略称PSI)という名称で設立され、1974年にPartido Socialista Popularに改称された。党首は大学の教授であったエンリーケ・ティエルノ・ガルバンスペイン語版。1978年にスペイン社会労働党(PSOE)に合流した。

マルクス主義を掲げ、1977年の総選挙に社会主義統一(Unidad Socialista)という名称のもと社会主義諸党連盟(Federación de Partidos Socialistas)に参加していた諸党と選挙連合を結成して臨んだ。

選挙連合は816,582票(4.46%)を獲得、6議席を得[2]、人民社会党は5議席を獲得した(3議席をマドリード選挙区で、カディス選挙区バレンシア選挙区で各1議席)。残り一人はサラゴサ選挙区選出で、アラゴン主義と左翼を掲げるアラゴン社会党スペイン語版に属していた。上院では4議席を得た。2議員はPSP-USまたはUSの名称で(マドリード選挙区とアリカンテ選挙区)、残り2人は選挙連合に参加していたPSOEに属した(カディス選挙区とアルメリーア選挙区選出)。

社会主義統一内の人民社会党所属候補者リスト

国会内での勢力が小さいため、PSP所属議員はアラゴン社会党(PSA)スペイン語版所属議員とともに混合会派(Grupo Mixto)を形成した。上院議員4人は進歩主義・無所属社会主義会派に加わった。1978年2月人民社会党はスペイン社会労働党に合流することを決した。下院議員5人のうち4人は社会労働党の会派(Grupo Socialista)に加わったが、5人目のラウル・モロード(Raúl Morodo)は混合会派にとどまった。同様に上院議員も2人のみが社会労働党の会派に加入した。1979年の自治体選挙(elecciones municipales españolas de 1979)でエンリーケ・ティエルノ・ガルバンはマドリードの社会労働党筆頭候補となった。しかし、第一党とはなれなかったが、スペイン共産党(PCE)の協力を得て、フランコ没後の民主化後初の市長に選出された。

そのほかの有力メンバーまたはのちに重要な役割を果たしたものとしては、先述のラウル・モロード、ホセ・ボノスペイン語版フランシスコ・ソーサ・ワグネルスペイン語版ホセ・ロペス・オロスコスペイン語版ホセ・ブランコ・ロペススペイン語版があげられる。

脚注

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  1. ^ スペイン社会労働党に合流した。
  2. ^ June 15, 1977 General Election Results - Spain Totals”. 2013年12月28日閲覧。