人はパンのみにて生くるにあらず
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人はパンのみにて生くるにあらず(ひとはパンのみにいくるにあらず)は聖書の語句。
概要
[編集]人間というものは、物質的に満たされるのみならず、精神的にも満たされて生きることを求めて生きる存在であるということを意味する[1]。
聖書
[編集]旧約聖書
[編集]モーセは、
「主である神が、荒野であなたを苦しめて飢えさせて、あなたもあなたの先祖も知らないマナを以て、あなたを養われていた」
「それは主である神が、あなたに、人はパンだけでなく主である神の口から出る全ての言葉によって生きているということを知らせるためであった」
と語る[2]。
新約聖書
[編集]新約聖書のマタイによる福音書第4章にこの言葉が出てくる。40日間断食したイエス・キリストにサタンが誘惑をしに来る。そこでサタンはイエス・キリストに、神の子であるならばこれらの石をパンになるように命じたらどうかと誘う。これに対してイエスは、人はパンだけで生きるのではなく神の口から出る一つ一つの言葉によって生きると答えてサタンの誘惑を退けた。
現代の国内プロテスタント教会における利用
[編集]上尾合同教会は、「サタンの誘惑である石をパンに変えるというのは知識と技術で人々を救うということであり、石が金に変えられ金がパンに変えられている現代人の科学技術と経済活動そのものであり、現代人はこのことに救いと希望があると信じて懸命に働いている」と説く[3]。
国内の著名人による引用
[編集]松下幸之助は1960年の著書で、人はパンのみにて生くるにあらずという言葉を持ち出してなるほどとしているものの、今日の学問とか賢さによって世のためになる人間の給料が不当に安すぎているということを批判している[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 故事成語を知る辞典,ことわざを知る辞典. “人はパンのみにて生くるものにあらず(ひとはパンのみにていくるものにあらず)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年2月13日閲覧。
- ^ Eiko-Church, 投稿者:. “『神のみ言葉とパンで生きる』 楊 慶運師”. 日本イエス・キリスト教団 荻窪栄光教会. 2024年2月13日閲覧。
- ^ “上尾合同教会”. www.ageo-church.org. 2024年2月13日閲覧。