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京都師管区部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

京都師管区部隊(きょうとしかんくぶたい)は、1945年4月から11月まであった大日本帝国陸軍師管区部隊の一つである。京都府滋賀県福井県からなる京都師管区の徴兵・動員・訓練・警備などにあたった。上級部隊は中部軍管区部隊である。8月の敗戦後もしばらく存置され、11月末に解散した。

部隊の発足

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師管区は1945年4月に師管を改称して設けられ、師管区部隊は師管区の防衛と管区業務に専念する部隊として、従来の留守師団を転換して編成された。師管区部隊は、留守師団を構成した司令部・補充隊のほか、連隊区司令部地区司令部特設警備隊地区特設警備隊陸軍病院といった管区内の様々な非戦闘部隊・官衙もまとめられ、全体としてはかなり雑多な集まりである。

京都師管区では、4月1日に留守第53師団司令部が京都師管区司令部に改称し、続いて8日に砲兵・工兵・通信の補充隊、歩兵第1補充隊と歩兵第2補充隊が10日、輜重兵補充隊が16日に編成されて発足した[1][2][3]

復員

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戦後陸軍は解体されることになったが、治安維持などの理由で師管区部隊はしばらくそのまま置かれた。部隊には相当数の朝鮮人が属しており、彼らはまず砲兵補充隊に集められ、8月27日に博多に輸送、さらにそこから船で朝鮮に送還された[4]。砲兵・工兵・輜重兵の補充隊は9月7日に復員(解散)した[2]。歩兵補充隊は11月1日に一斉に復員した。

最終的な解散は、11月30日付になされた。京都第一陸軍病院は11月30日に厚生省に移管して国立京都病院になった。現在の国立病院機構京都医療センターである[2]。師管区司令部も同じ日に復員したが、一部の人員は第一復員省の職員となり、引き続き復員関連の業務にあたった。

編成

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編制上の定員

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「中部軍管区編制人員表」による[5]。部隊の定員は何度か改正されたが、ここではその最後のものを示した。人数に大きな変化はない。

  • 京都師管区司令部 - 軍人259、軍属16、馬匹13。
  • 京都師管区制毒訓練所 - 軍人27、軍属1人。
  • 京都師管区歩兵第1補充隊 - 軍人1933、軍属1、馬匹75。
  • 京都師管区歩兵第2補充隊 - 軍人1933、軍属1、馬匹75。
  • 京都師管区砲兵補充隊 - 軍人576、軍属1、馬匹87。
  • 京都師管区工兵補充隊 - 軍人705、軍属1、馬匹9。
  • 京都師管区通信補充隊 - 軍人345、軍属1、馬匹12。
  • 京都師管区輜重兵補充隊 - 軍人659、軍属1、馬匹60。
  • 特設警備第160大隊 - 軍人550、うち常置人員5。
  • 特設警備第161大隊 - 軍人550、うち常置人員5。
  • 特設警備第110中隊 - 軍人126、うち常置人員4。
  • 第113特設警備工兵隊 - 軍人930、うち常置人員6[6]
  • 京都連隊区司令部 - 軍人118、軍属25。
  • 大津連隊区司令部 - 軍人79、軍属20。
  • 福井連隊区司令部 - 軍人79、軍属20。
  • 京都地区司令部 - 軍人45。
    • 京都地区第1特設警備隊(第20まで)- 軍人306、20隊合計6000。
  • 大津地区司令部 - 軍人32。
    • 大津地区第1特設警備隊(第16まで)- 軍人306、16隊合計4896。
  • 福井地区司令部 - 軍人32。
    • 福井地区第1特設警備隊(第14まで)- 軍人306、14隊合計4200。
  • 京都第1陸軍病院 - 軍人432。
  • 敦賀陸軍病院 - 軍人58。
  • 鯖江陸軍病院 - 軍人43。
  • 京都第2陸軍病院 - 軍人108。

終戦時の兵力

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1968年作成の『陸軍部隊(主として内地)調査表』による[2]。中部137部隊などは通称号。兵力は「中部軍管区人員一覧表」による8月15日現在のもの[7]

  • 京都師管区司令部 - 京都。兵力162。
  • 京都師管区歩兵第1補充隊 - 京都。中部137部隊。兵力1552。
  • 京都師管区歩兵第2補充隊 - 敦賀。中部136部隊。兵力1222。
  • 京都師管区砲兵補充隊 - 京都。中部140部隊。兵力1498。
  • 京都師管区工兵補充隊 - 京都。中部141部隊。兵力697。
  • 京都師管区通信補充隊 - 京都。中部142部隊。兵力248。
  • 京都師管区輜重兵補充隊 - 京都。中部143部隊。兵力880。
  • 特設警備第160大隊 - 京都。中部4132部隊。兵力14。
  • 特設警備第161大隊 - 京都。中部4133部隊。兵力14。
  • 特設警備第110中隊 - 京都。中部4141部隊。兵力4。
  • 第113特設警備工兵隊 - 滋賀県八日市町。中部4181部隊。兵力6。
  • 京都連隊区司令部 - 京都。兵力113。
  • 大津連隊区司令部 - 大津。兵力49。
  • 福井連隊区司令部 - 福井。兵力41。
  • 京都地区司令部 - 京都。兵力40。
    • 京都地区第1特設警備隊(第20まで)
  • 大津地区司令部 - 大津。兵力21。
    • 大津地区第1特設警備隊(第16まで)
  • 福井地区司令部 - 福井。兵力18。
    • 福井地区第1特設警備隊(第14まで)
  • 京都第一陸軍病院 - 京都。兵力160。
  • 敦賀陸軍病院 - 敦賀。兵力34。
    • 鯖江陸軍病院 - 鯖江町。兵力27。

脚注

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  1. ^ 『陸軍部隊(主として内地)調査表』(昭和20年8月15日現在)「京都師管区隷下部隊」 アジア歴史資料センター Ref.C12121073500 。
  2. ^ a b c d 『陸軍部隊(主として内地)調査表』(昭和20年8月15日現在)「中部軍管区部隊編合並びに配置表」 アジア歴史資料センター Ref.C12121075300 。
  3. ^ 昭和20年軍令陸甲第25号。戦史叢書『陸軍軍戦備』474頁。
  4. ^ 『本土配備部隊行動概況表』、「中部軍管区隷下部隊」 アジア歴史資料センター Ref.C12121380800 。
  5. ^ 『中部軍管区編制人員表』、「京都師管区」 アジア歴史資料センター Ref.C12121039300 。
  6. ^ 表には常置人員と明記されないが、他の特設警備大隊・中隊と記載方法が同じため、そのように推定した。
  7. ^ 『昭和20.8~11 中部軍復員に関する綴』、「中部軍管区部隊状況一覧表」 アジア歴史資料センター Ref.CC15010690200 。

参考文献

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