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京王220系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京王220系電車
旧番号デハ2410に戻されて保存されたデハ222(2003年4月)
基本情報
運用者 京王帝都電鉄
製造所 日本車両製造
種車 デハ2125形デハ2400形
製造年 1933年、1940年
改造所 東横車輛[注釈 1]
改造年 1963年
改造数 4
導入年 1963年 - 1964年
総数 4
運用開始 1963年8月4日
運用終了 1969年9月29日
廃車 1969年9月29日
消滅 1969年9月29日
投入先 京王線
主要諸元
軌間 1,372 mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
車両定員 100人
自重 デハ220形:27.5 t
クハ230形:21.5 t
全長 デハ220形:14,080 mm
クハ231:14.094 mm
クハ232:14.134 mm
全幅 2,500 mm
全高 デハ220形、クハ232:3,880 mm(集電装置なし)
クハ231:3,830 mm
4,280 mm(集電装置あり)
車体 半鋼製
台車 日本車両 D-14 / D-16A
主電動機 日立製作所 HS-267D
主電動機出力 95kW×4基 / 両
駆動方式 吊掛駆動
歯車比 63:19(3.32)
制御方式 抵抗制御
制御装置 日立製作所 電動カム軸式MMC-H-200B
制動装置 AMA元空気溜管式空気ブレーキ
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京王220系電車(けいおう220けいでんしゃ)は、京王帝都電鉄京王線系統の支線で使用されていた通勤形電車である。

概要

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1963年8月4日に行われた京王線系統の架線電圧昇圧(600V→1500V)に備え、支線区(競馬場線および動物園線)での運用を主目的とした車両として、自社桜上水工場東横車輛の出張工事により、京王電気軌道から継承した14m車両を改造した車両である。種車は昇圧以前に片運転台化もしくは中間電動車化が行われ、片側妻面に広幅貫通路を設置されていたデハ2125形2130、デハ2400形2401・2410・2409の4両が選択された。

京王は1957年(昭和32年)4月に荷電や貨車など事業用車両の形式を、旅客用車両と区別するため3桁への改番を実施していた。本形式が荷電と同じく3桁形式なのは、京王社内で14メートル級という車体が貨車などと同じ程度のサイズということから、事業用車両の空き形式を附番としたとされる[1]

車両概説

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本系列は、制御電動車デハ220形 - 制御車クハ230形の2両で1ユニットの固定編成を組む。

デハ220形
八王子方に運転台のある制御電動車。デハ221は運転台側にパンタグラフ、デハ222は連結面側にパンタグラフを装備。
クハ230形
新宿方に運転台のある制御車。車体が14メートル級のデハが床下スペース不足で装荷できなかった、補器類(電動発電機コンプレッサー)を積んでいる[注釈 2]

車体

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デハ221の種車であるデハ2401は1952年10月、クハ231の種車であるデハ2130は1953年9月25日にそれぞれ衝突事故で大破し、どちらも日本車輛で復旧したが、その際、以下の改造が行われた異端車であった。

  • 乗務員室の全室化と乗務員扉の設置
  • 運転台位置を中央から左へ移動
  • 乗務員室の全室化に伴い、窓配置が変更
    • デハ2401は、八王子向きの片運転台車として復旧[注釈 3]。八王子側運転台後位の乗降扉を窓ひとつ分車体中央側に移動し、撤去された新宿側運転台は横の小窓も廃して窓配置はdD3D4Dに[2][3]
    • デハ2130は、新宿向きの片運転台車として復旧。新宿側だけでなく、八王子側も旧運転台後位の乗降扉を窓一つ分車体中央側へ移設したため、窓配置はdD3D4D1に[4]
  • 竪樋を内蔵式に

全室運転台化により、京王線中型車の弱点であった乗務員室の狭さが解消されていたため、窓割がほぼ原形のままであったデハ2409(→クハ232)とデハ2410(→デハ222)も、220系化の際に乗務員室を全室化・運転台を中央から左側へ移動・乗務員扉の設置改造が実施された。この2両は窓配置がdD3D4D1となり、もともと同じ形式のデハ221に近いものとなったが、竪樋は2400形時代同様車体外に露出している[5]

前照灯は白熱灯2灯を並べており[注釈 4]、幕板部に標識灯を新たに設置している。またデハ2130[4]とデハ2409[6]は、中型車の長編成化に伴い1962年頃に運転台の機器や前照灯・尾灯が撤去されていた[8]ため、この改造時に運転台機器の再取り付けが行われた。

同形式ではあるものの、デハの両車でパンタグラフの向きが逆になっている、デハ221の正面窓は運転台以外が2段窓になっている、クハ231は各部寸法が他の3両と違い、連結面側の窓幅も広いなどの、種車に由来する違いも多く残されている。

客室内についてはそれまでと同様に床面は木の半鋼製・ドア間ロングシート車であるが、照明については蛍光灯化され、天井に扇風機も装備している。

主電動機

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京王線中型車の電装品は600V専用だったため、本系列はデニ201などと同様に、架線電圧が元々1500Vの井の頭線デハ1560形デハ1711デハ1760形を電装解除して発生した電装品に換装した。そのため主電動機は、それらが装着していた東急デハ3450形と同系統の日立製作所HS-267D[注釈 5]である。

制御器

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これも井の頭線でデハ1400形デハ1700形・デハ1710形に使われていた、日立製作所MMC-H-200Bを使用している。そのため中型車時代の電空単位スイッチ式手動加速制御器(HL)式から電動カム軸式間接自動加速(AL)となった。

台車

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デハは主電動機取り付け寸法の関係から[9]クハ2770形の一部が装着していた日本車輛D-16A[注釈 6]を転用、クハ230形はクハ231がデハ2161 - 2165に由来する川崎車輛製K-1、クハ232は2200形2300形に由来する弓型イコライザーの汽車会社製KS-3を装着して就役した[12]が、1966年に5000系・5070系に新造台車を導入することで老朽台車の玉突き置換を実施した際、デハ2400形の使用していたD-14へ交換されている[13][注釈 7]

沿革

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デハ221 - クハ231は昇圧を前にした1963年5月中旬から改造を開始し、昇圧前の7月末に竣工。昇圧当日の8月4日から運用を開始した。クハ231は当初デッドセクション対策に、運転台側にパンタグラフがデハ時代のまま装備されていたが、1964年1月に撤去されている[2]。デハ222 - クハ232は昇圧前日まで営業運転していた車両が種車のため、改造は昇圧後に始められて竣工したのは1964年3月末であった。

塗装は当初ライトグリーン一色であったが、1964年5月中旬に初代5000系に準ずる、アイボリー色に80mm幅のえんじ色の腰帯を巻くものに変更されている[2]

競馬場線と開通したばかりの動物園線の両支線内折り返し運用に、2両もしくは2本連結した4両で充当されたり、あるいはデニ200形の検査時や手荷物繁忙期などに代走としての荷物列車運用などに使用されていたが、列車遅れが発生した際などにピンチヒッターで本線急行運用についたり[14]高尾線で車両不足応援のために運用された[15]こともあった。

1969年10月からの京王線ATS運用開始に際し、搭載が困難であることから改造対象から外され、同年9月28日に動物園線でデハ231 - クハ231がさよなら運転を行い、翌29日の競馬場線での運転を最後に廃車となった。廃車後3両は解体されたが、222は塗色をライトグリーン・番号を2410に復元され、2013年以降は京王れーるランドで静態保存されている。

編成表

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新宿
  クハ230形 (Tc) デハ220形 (Mc)
車番 クハ231

(デハ2130)

デハ221

(デハ2401)

クハ232

(デハ2409)

デハ222

(デハ2410)

参考文献

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書籍

[編集]
  • 鈴木洋『【RM LIBRARY 111】京王線14m車の時代』株式会社ネコ・パブリッシング、2008年11月1日。ISBN 978-4-7770-5245-5 
  • 鈴木洋『【RM LIBRARY 146】京王5000系の時代 ファンの目から見た33年』株式会社ネコ・パブリッシング、2011年10月1日。ISBN 978-4-7770-5316-2 
  • 宮下洋一 編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』株式会社ネコ・パブリッシング、2019年5月1日。ISBN 978-4-7770-2350-9 

雑誌記事

[編集]
  • 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』、鉄道図書刊行会、2005年8月。 
    • p.44-55 飯島正資「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第45号、第46号より再録
    • p.60-105 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(65) 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第171号、第172号、第174号、第176号、第177号より再録
    • p.106-118 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺」※『鉄道ピクトリアル』第197号より再録
    • p.144-153 読者短信に見る京王電鉄の記録 1950-1960
  • 鈴木洋「京王電鉄 高尾線の移り変わり」『鉄道ピクトリアル』第893号、鉄道図書刊行会、2014年8月、126-130頁。 
  • 鈴木洋「京王線220形をめぐって」『鉄道ピクトリアル』第893号、電気車研究会、2014年8月、167-168頁。 

脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ 作業は桜上水工場で実施。
  2. ^ 昇圧前は、制御電源は架線からの600V電源をドロップ抵抗で降圧して使用していたため、電動発電機等の補助電源装置は搭載していなかった。
  3. ^ 復旧後、デハ2400形で唯一パンタグラフが八王子向きだった。
  4. ^ デハ2400形で先頭に立っていた車両の多くは、昇圧直前にはすでに2灯化改造を受けており[6]、デハ2401[2]もデハ2410も[7]同様であった。
  5. ^ 端子電圧750V時 定格出力95kW
  6. ^ 元々はデハ2701 - 2704が新造時に装着した台車で、営団地下鉄1000系の旧台車であるD-18を、日車が1372mm用に改造したものとされる[10][11]
  7. ^ クハ232の1964年4月29日から5月3日にかけての写真[5][14]では台車イコライザーが弓形をしていることが確認できるが、後年の写真[5]では形状が異なっている。

出典

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  1. ^ 鈴木洋『【RM LIBRARY 111】京王線14m車の時代』p.46
  2. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』2014年8月臨時増刊号(通巻893号)「京王線220形をめぐって」 p.167
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.148
  4. ^ a b 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.31
  5. ^ a b c 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.38-39
  6. ^ a b 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.36
  7. ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.40
  8. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.146-147
  9. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄電車めぐり(65) 京王帝都電鉄 第2部 車両総論」 p.94-95
  10. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 飯島正資 「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」(1955) p.53
  11. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄電車めぐり(65) 京王帝都電鉄 第2部 車両総論」 p.83
  12. ^ 鈴木洋『【RM LIBRARY 146】京王5000系の時代 ファンの目から見た33年 p.19
  13. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺 p.112
  14. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』2014年8月臨時増刊号(通巻893号)「京王線220形をめぐって」 p.168
  15. ^ 『鉄道ピクトリアル』2014年8月臨時増刊号(通巻893号)「京王電鉄 高尾線の移り変わり」 p.130