築地警察署
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(京橋警察署から転送)
警視庁築地警察署 | |
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都道府県警察 | 警視庁 |
管轄区域 |
中央区の西南部 銀座、築地 新富、入船 湊、明石町 浜離宮庭園 |
課数 | 7 |
交番数 | 8 |
駐在所数 | 0 |
所在地 |
〒104-0045 東京都中央区築地一丁目6番1号 |
位置 | 北緯35度40分12.9秒 東経139度46分16.9秒 / 北緯35.670250度 東経139.771361度座標: 北緯35度40分12.9秒 東経139度46分16.9秒 / 北緯35.670250度 東経139.771361度 |
外部リンク | 築地警察署 |
築地警察署(つきじけいさつしょ)は、東京都中央区築地1丁目にある、警視庁が管轄する警察署の一つ。第一方面本部所属。中央区の京橋地区南部を管轄している。署員数およそ280名の大規模警察署であり、署長は警視正。
識別章所属表示はMH。車両の対空表示は「築」。
所在地
[編集]管轄区域
[編集]中央区の西南部を管轄している。
かつては伊豆・小笠原諸島に分署を設けて管轄内としていた。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)5月1日:警視第一分庁第三署開設。
- 1881年(明治14年)1月14日:築地警察署および築地巡査駐屯所開設。
- 1881年(明治14年)3月21日:築地警察署および新富町警察署統合。京橋警察署開設。
- 1910年(明治43年)12月17日:築地警察署に改称。翌・1911年(明治44年)に任命された初代署長は当時の凶悪事件や迷宮事件を幾つも解決した事で有名人だった警視庁の刑事、武東晴一(モト冬樹の曽祖父)だった。
- 1926年(大正15年)4月10日:関東大震災により庁舎全焼のため、現在地に移転
- 1963年(昭和38年): 庁舎老朽化のため聖路加国際病院旧病棟を仮庁舎とし移転
- 1966年(昭和41年)1月15日:新庁舎完成・仮庁舎より移転
- 1973年(昭和48年): 庁舎の一部を5階に増築
- 1991年(平成3年): 庁舎建替のため旧中央区立第二中学校を仮庁舎とし移転
- 1993年(平成5年)8月12日:現庁舎完成・仮庁舎より移転
組織
[編集]交番
[編集]全て中央区。駐在所はない。
- 銀座四丁目交番(銀座五丁目) - 銀座四丁目交差点にある。
- 銀座一丁目交番(銀座一丁目)
- 数寄屋橋交番(銀座四丁目)
- 小田原町交番(築地六丁目)
- 湊交番(湊一丁目)
- 新富町交番(新富二丁目)
- 銀座八丁目交番(銀座八丁目)
廃止された交番
[編集]- 土橋交番(銀座八丁目)※2007年(平成19年)3月で数寄屋橋交番に統合され廃止。現在は土橋地域安全センター。
- 三原橋交番(銀座四丁目)※2007年(平成19年)3月で銀座一丁目交番に統合され廃止。現在は三原橋地域安全センター。
- 中央市場交番(築地五丁目)※中央市場移転に伴い休止。
不祥事・出来事
[編集]- 2022年6月26日、築地署警務課留置係の巡査が、居酒屋の更衣室で現金を盗んだとして、窃盗と建造物侵入の疑いで逮捕された。同巡査には、同月25日、中野区内の居酒屋で同僚との飲み会中に、更衣室に侵入し、複数の従業員の荷物から合計約4万円の現金を盗んだ疑いがある[2]。
- 戦前、プロレタリア作家として知られる小林多喜二が特別高等警察の刑事によって当署で取り調べを建前とした激しい拷問を受け、死亡した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 4』講談社、2003年。
- ^ “築地署巡査、居酒屋従業員の現金盗んだ疑いで逮捕”. 朝日新聞 (2022年6月26日). 2024年7月23日閲覧。