亘理宗廣
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永元年(1624年) |
死没 | 元禄14年9月7日(1701年10月8日) |
別名 | 宗広、又次郎、右近(仮名) |
諡号 | 榮久 |
戒名 | 榮久院養譽報安 |
墓所 | 宮城県栗原市の松榮寺 |
主君 | 伊達政宗、忠宗、綱宗、綱村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 茂庭氏、佐沼(高清水)亘理家 |
父母 | 亘理宗根、亘理重宗娘・榮頌院 |
妻 | 泉田重時娘 |
子 | 宗喬、広常、求馬、各務利静 |
亘理 宗廣(わたり むねひろ)は、江戸時代前期の仙台藩士。高清水亘理家[1]の嫡子。
略歴
[編集]寛永元年(1624年)、亘理宗根の長男として誕生。母は正室の榮頌院(亘理重宗娘)。正室は泉田出羽重時娘。
出典
[編集]- 『佐沼亘理家御系図草案』(享和2年 目々澤新右衛門)
- 『涌谷伊達家関係資料集』
脚注
[編集]- ^ のちの佐沼亘理家。