井狩吉雄
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基本情報 | ||||
本名 |
井狩 吉雄 いかり よしお | |||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1951年5月14日(73歳) | |||
選手情報 | ||||
期別 | 35期 | |||
登録地 | ||||
1975-2014 | 日本競輪選手会滋賀支部 | |||
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井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元競輪選手。滋賀県近江八幡市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期卒業。現役時代は日本競輪選手会滋賀支部所属。師匠は田中広光(21期・引退)。ホームバンクは大津びわこ競輪場。
戦績
[編集]中学生時代はハンドボール選手として滋賀県民体育大会で優勝、また駅伝ランナーとして、滋賀中学駅伝で2位を経験している。滋賀県立八日市高等学校に進学してから自転車競技を始め[1]、中京大学自転車競技部時代は主将を務めた。同大学時代の主な実績として、カナダ・ブリティシュ・コロンビア3日間ロードレース日本人選手総合第1位、全国地域対抗自転車競技選手権大会・ポイントレース優勝などがある[2]。
中京大学卒業後は競輪学校に第35期生として入学。在校競走成績及び卒業記念レースはいずれも、松田隆文、中野浩一に次いで3位(84勝)だったことから、『35期の三羽烏』の一人と謳われる。1975年5月15日、ホームバンクのびわこでデビューし、初勝利も同日。後2日間も勝利して、デビュー開催で完全優勝を果たした。
1977年、全日本新人王戦決勝5着。1996年の共同通信社杯競輪まで、断続的ながらも特別競輪(現在のGI並びにGII)に参加していた。
その後は日本学生自転車競技連盟の役員[3]など裏方での仕事の傍ら、競走にも随時参加し、2009年10月6日には奈良競輪場で行われたA級チャレンジ決勝戦を制し、58歳4か月22日にて競輪選手史上最年長優勝を達成する[4][5]。2011年5月20日には向日町競輪場においてA級2班格付での還暦出走を達成し、同年11月17日には西村康博の後を受ける形で現役最年長選手となった。その後2012年にA級2班へ復帰し高齢でのA2在位記録更新も果たしている。61歳の年齢で迎えた、2013年2月5日に行われた和歌山2レースで勝利[6]。
2013年9月13日(Yahoo!ニュースでは16日と表記されている)に松山競輪場第1Rで落車し、くも膜下出血を発症。その後数ヶ月にわたる長期欠場が続いていたが12月20日に引退することを表明、同24日に引退セレモニーが行われ、2014年1月9日に選手登録を削除し38年間の競走生活に終止符を打った。通算出走3043回、優勝19回、428勝。
主な弟子
[編集]- 三和英樹(日本競輪学校第69期生、ソウルオリンピック出場)
- 中井修(同校75期生)
- 中井護(同校74期生)
- 善利裕生(同校82期生)
- 齋藤収(同校77期生)
- 中村考志(同校80期生)
- 加藤明久(同校80期生)
脚注
[編集]- ^ 還暦攻めの銀輪 大津在住の競輪選手 井狩さん - 京都新聞 2012年4月9日付
- ^ 体育会の歩み|中京大学 体育幹事会 - 2010年10月7日閲覧
- ^ 日本学生自転車競技連盟・役員名簿 - 2010年10月7日閲覧
- ^ 来月57歳の萩原操がA級1、2班戦で優勝/四日市 - 日刊スポーツ、2020年6月9日
- ^ レース結果 - KEIRIN.JP 2010年10月7日閲覧
- ^ 2013/02/05(初日)第2レースA級チャレンジ予選 - KEIRIN.JP
外部リンク
[編集]- 選手通算成績 - KEIRIN.JP
- ◆42~55◆楽しき取材日記 - ◆48◆が井狩に関する記事 - 2010年10月7日閲覧