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井洋雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井 洋雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1937-05-02) 1937年5月2日(87歳)
身長
体重
177 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手外野手
プロ入り 1959年
初出場 1959年
最終出場 1962年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

井 洋雄(い ひろお、1937年5月2日 - )は、熊本県[1]出身の元プロ野球選手投手外野手)。右投右打。

来歴・人物

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済々黌高では、1955年夏の甲子園県予選投手として出場するが、準決勝で熊本高に9回サヨナラ負け、甲子園には届かなかった。

高校卒業後は、社会人野球濃人渉監督率いる日鉄二瀬(福岡県嘉穂郡、日鉄鉱業二瀬鉱業所)野球部へ進む[1]1956年第27回都市対抗野球大会では、1回戦の対富士製鐵室蘭戦で完投、大会最少投球数77球を記録した。1958年第29回都市対抗野球大会ではエースとして3勝をあげ、決勝に進出。日本石油に0-4で敗れるものの、日鉄二瀬の準優勝に貢献した[1]。この大会での活躍で久慈賞を獲得している。同年の産業対抗は決勝で日本ビールと対戦、村上峻介をリリーフして完封勝利、チームを初優勝に導いた[2]。チームメートに江藤慎一財津守(後に共に中日でチームメイト)らがいた。

1959年広島カープへ入団、1960年4月16日広島市民球場での大洋戦でプロ入り初勝利。1961年外野手へ転向[1]。同年に広島を自由契約となり中日ドラゴンズに移籍、この年に引退した。

また、井が現役であった時はどこのチームもまだユニフォームの背番号の上にローマ字の名前が付いていなかった時代であるが、もし井に名前が付くと1文字で「I」となり、実質最もユニフォームの名前が短い選手になる

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1959 広島 10 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 105 25.1 25 2 5 0 1 9 0 0 11 9 3.12 1.18
1960 5 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 43 9.2 16 1 0 0 0 6 0 0 7 7 6.30 1.66
1961 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 8 0.2 5 0 1 0 0 0 0 0 4 4 36.00 9.00
通算:3年 16 3 0 0 0 1 1 -- -- .500 156 35.2 46 3 6 0 1 15 0 0 22 20 5.00 1.46

年度別打撃成績

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O
P
S
1959 広島 10 7 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1960 6 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
1961 3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1962 中日 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:4年 20 11 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .100 .100 .100 .200

背番号

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  • 15 (1959年 - 1961年)
  • 55 (1962年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、28ページ
  2. ^ 「日本社会人野球協会十年の歩み」日本社会人野球協会 1959年

関連項目

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外部リンク

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