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井村健輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日[1] - )は、日本実業家。元不二越会長・社長。長崎県出身[2]

経歴・業績

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1935年昭和10年)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て[3]1957年長崎大学経済学部を卒業し、同年不二越入社[1]取締役常務取締役代表取締役専務などを経て、1998年2月社長に就任した[1]。事業部門の再編や同業他社との業務提携を進めたほか、不二越の創業70年を記念してコーポレートマークの改定を行なった[4]。また、第二次世界大戦中に強制労働を強いられたとして元女子勤労挺身隊員の3名が雇用企業である不二越に損害賠償と謝罪を求めていた「不二越訴訟」について、第一審・第二審ともに不二越側の全面勝訴であったにもかかわらず、2000年7月に最高裁での和解に踏み切った[5][6]。このことについて井村は謝罪する意向も罪悪感も無いとしながらも、世紀が改まるにあたって不毛な争いが続くことを避けたと説明している[5][6]。このほか、日本ベアリング工業会会長、日本ロボット工業会会長(2006年 - 2008年)をはじめとした業界団体のトップや、富山県経営者協会会長、富山県機電工業会会長(2005年 - 2009年)など地元財界団体の要職を歴任した[2]2009年2月に不二越会長兼CEOとなるが、同年12月、健康上の理由により同職を退任した[7]

人物

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略歴

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脚注

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  1. ^ a b c 取締役人事ならびに事業役員制度の導入に関するお知らせ”. 不二越. 2016年9月29日閲覧。
  2. ^ a b 『朝日新聞人物データベース』
  3. ^ 『読売ウィークリー 2005年1月23日号』(読売新聞社、2005年)91頁。
  4. ^ 歴史・沿革”. 不二越. 2016年9月29日閲覧。
  5. ^ a b 「「不二越」和解、原告以外にも解決金 元挺身隊員ら5人などに」『朝日新聞』2000年7月12日付朝刊、社会面。
  6. ^ a b 「「恨は解けた」「満足できぬ」 不二越訴訟和解」『朝日新聞』2000年7月12日付朝刊、富山面。
  7. ^ 「不二越の井村氏、退任」『朝日新聞』2009年12月26日付朝刊、富山面。
  8. ^ 井村不二越会長が辞任 富山県経営者協会長も退任へ”. 北日本新聞. 2016年9月29日閲覧。
先代
本多正道
不二越社長
1998年 - 2009年
次代
本間博夫