井手麟六
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橋立艦長時代 | |
生誕 |
1857年1月9日 日本 佐賀県 |
死没 | 1939年4月27日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1881年 - 1911年 |
最終階級 | 海軍少将 |
井手 麟六(いで りんろく、1857年1月9日(安政3年12月14日)- 1939年(昭和14年)4月27日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍少将。
略歴
[編集]- 明治14年(1881年)9月、海軍兵学校を卒業。(第8期)
- 明治33年(1900年)5月20日、海軍中佐。スループ「武蔵」艦長。
- 明治34年(1901年)2月4日、水雷母艦「豊橋」艦長。
- 明治35年(1902年)
- 明治36年(1903年)9月11日、防護巡洋艦「笠置」艦長。
- 明治38年(1905年)
- 明治39年(1906年)
- 明治41年(1908年)
- 明治43年(1911年)12月1日、待命。
栄典
[編集]- 位階
- 1885年(明治18年)9月16日 - 正八位[1]
- 1890年(明治23年)1月17日 - 従七位[2]
- 1891年(明治24年)12月16日 - 正七位[3]
- 1896年(明治29年)12月21日 - 従六位[4]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 正六位[5]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 正五位[6]
- 1912年(大正元年)12月28日 - 従四位[7]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 勲五等双光旭日章[8]・明治二十七八年従軍記章[9]
- 1901年(明治34年)11月30日 - 勲四等瑞宝章[10]
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲三等瑞宝章[11]
- 1909年(明治42年)4月18日 - 皇太子渡韓記念章[12]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第711号「叙任」1885年11月12日。
- ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
- ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
- ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第3866号・付録「辞令」1896年5月21日。
- ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』(第九巻)、第一法規出版
- 外山操編『陸海軍将官人総覧 海軍篇』芙蓉書房出版