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井嶋勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井嶋 勉(いじま つとむ、1908年6月5日[1] - 1978年5月12日[2])は、日本美学者、京都大学名誉教授井島 勉とも表記。専門は西洋芸術哲学・芸術史。兄は元大阪高等検察庁検事長井嶋磐根wikidataであり、兄・磐根の子である元最高裁判所判事井嶋一友にあたる。

経歴

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京都市上京区出身[3]京都府師範学校附属小学校、京都府立第一中学校第三高等学校を経て1932年京都帝国大学文学部哲学科卒[1][注釈 1]。1947年「藝術の創造と歴史」で京都大学文学博士[1]。1943年京都大学文学部美学美術史助教授、1947年同教授[5]

1951年に日本美術教育学会を設立し、没するまで会長を務めた[2]。1968年 - 1969年、京都大学文学部長[6]

1972年定年退官、名誉教授[7]京都市美術館館長 (1972年[7] – 1977年)、京都府文化芸術会館理事長[8]

著書

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  • 『ヸンケルマン』弘文堂 西哲叢書 1936年
  • 『芸術史の哲学』弘文堂書房 1944年
  • 『藝術の創造と歴史』弘文堂書房 1946年
  • 『ヨーロッパ芸術』弘文堂 1949年
  • 『芸術とは何か』弘文堂 アテネ文庫 1950年
  • 『美術教育の原理』都出版社 1951年
  • 『美術教育について』都出版社 1956年
  • 『美学』創文社 1958年
  • 『美術教育の理念』光生館 1969年
  • 『井島勉講演集』井島勉講演集長野県刊行会 1978年
  • 『芸術とは何か』創文社 1979年

共編著

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  • 『京都 わが幼き日の…』湯川秀樹、川端弥之助共著、中外書房 1960年
  • 『芸術の世界 その鑑賞と理解』創文社 1964年

脚注

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注釈

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  1. ^ 文学部を卒業後、副手として大学に残った当時の指導教授は植田寿蔵[4]

出典

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  1. ^ a b c 追悼号, p. 2.
  2. ^ a b 「会長井島勉先生ご逝去される」『美術教育』第1978巻第230号、日本美術教育学会、1978年5月、10-11頁、doi:10.11356/arted1951.1978.230_10 
  3. ^ 追悼号, p. 4, 井島先生の生い立ち.
  4. ^ 追悼号, p. 8.
  5. ^ 中村二柄「本学会創立会長・井島勉先生の思い出」『美術教育』第1987巻第254号、日本美術教育学会、1987年8月、2-3頁、doi:10.11356/arted1951.1987.2 
  6. ^ 『京都大学文学部の百年』, p. 202, 文学部長・大学院文学研究科長一覧.
  7. ^ a b 追悼号, p. 3.
  8. ^ 『芸術の創造と歴史』著者紹介(晃洋書房) - ウェイバックマシン(2024年1月19日アーカイブ分)

参考文献

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外部リンク

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