井出鉄蔵
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井出 鉄蔵 | |
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生誕 |
1886年8月12日 日本 東京府 |
死没 | 1946年10月30日(60歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
井出 鉄蔵(いで てつぞう、1886年(明治19年)8月12日[1] - 1946年(昭和21年)10月30日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1886年(明治19年)に東京府で生まれた[1][2]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第29期卒業[2]。イギリス駐在を経て[3]、1929年(昭和4年)3月に陸軍輜重兵中佐に進級し[1]、1931年(昭和6年)6月にインド駐箚武官に就任した[3]。1932年(昭和7年)8月に陸軍輜重兵大佐に進級し[3]、1933年(昭和8年)6月29日に参謀本部附を経て[3]、8月1日に輜重兵第1大隊長に就任し[3]、1936年(昭和11年)3月に第19師団参謀長に転じた[3]。
1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将進級と同時に輜重兵監部附となり[2][3]、1938年(昭和13年)7月に陸軍自動車学校長に就任した[2]。1939年(昭和14年)3月9日に輜重兵監に就任し[2]、10月2日に陸軍中将に進級した[3]。1940年(昭和15年)10月に第32師団長(北支那方面軍・第12軍)に親補され日中戦争に出動[2]。第12軍の中核師団として山東省西方で守備に任じ[2]、第一次魯南剿共作戦、第二次魯南剿共作戦、魯中作戦、東平湖西方作戦などを連戦した[2]。1942年(昭和17年)10月8日に参謀本部附となり[2]、11月2日に予備役に編入された[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。