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井内歓二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井内歓二
いうち かんじ
生年月日 1871年7月25日
出生地 日本の旗 日本 阿波国名東郡西新町
(現徳島県徳島市西新町)
没年月日 (1921-05-21) 1921年5月21日(49歳没)
出身校 徳島県尋常中学校卒業
(現徳島県立城南高等学校)
前職 酒類卸売業
所属政党 無所属

選挙区 北海道第4選挙区
当選回数 1回
在任期間 1920年5月 - 1921年5月21日

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井内 歓二(いうち かんじ、1871年7月25日明治4年6月8日[1]) - 1921年大正10年)5月21日[2])は、日本実業家政治家衆議院議員

経歴

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阿波国名東郡西新町(現徳島県徳島市西新町)で織物卸商・井内孝七[3]の長男として生まれる[4]徳島県尋常中学校を卒業後、法律学を学んだが実業界に転身[4]1897年11月、北海道旭川に来住し織物煙草卸売業を開業[4]。翌年6月、味噌醤油製造業を始め、後に酒類卸売業を兼ねた[4]。また、旭川区会議員、旭川商業会議所会頭、上川倉庫社長、旭川商事取締役、北海道銀行(旧)取締役、旭川木工取締役、東洋酒精取締役、大北火災保険取締役などを務めた[2]

1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で北海道第四区から出馬し当選したが[2]、在任中に病のため死去した[4]

娘の敏子は、深川製磁2代目社長・深川進の妻[5]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、35頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』32頁。
  3. ^ 『人事興信録』第6版、い5頁では「幸七」。
  4. ^ a b c d e 『北海道人名辞書』第二版、645-646頁。
  5. ^ JR情報誌『Please』2010年5月号19頁

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。