井伊直富
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井伊直富 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝暦13年8月25日(1763年10月2日) |
死没 | 天明7年7月12日(1787年8月24日) |
改名 | 豊吉(幼名)、直富 |
別名 | 直冨 |
官位 | 従四位下玄蕃頭 |
藩 | 近江彦根藩世嗣 |
氏族 | 井伊氏(掃部頭家) |
父母 | 父∶井伊直幸、母∶高橋氏 |
兄弟 |
直尚、直寧、俊姫、直富、直中、直広、 真田幸専、土井利義、直明、直容、直致、扁勝、暉玄、摂有、松平康哉正室、 立花鑑門正室、雍姫、磐、松平忠馮正室、謙ら |
妻 | 伊達重村三女・詮子 |
井伊 直富(いい なおとみ)は、江戸時代中期の近江国彦根藩の世嗣。直冨とも表記される。官位は従四位下・玄蕃頭。
略歴
[編集]12代藩主・井伊直幸の三男として誕生。母は高橋氏。幼名は豊吉。正室は伊達重村の三女・詮子(満姫)。生年は宝暦10年(1760年)ともされる。
兄・直尚が早世したため、直幸の嫡子となる。長州藩主・毛利重就の娘・列子と婚約したが、安永2年10月14日に列子は死去した。安永4年(1775年)、12代将軍・徳川家治に拝謁し叙任。安永9年(1780年)には少将に任ぜられた。天明3年(1783年)に仙台藩主・伊達重村の娘・詮子(あきこ)と結婚したが、天明7年(1787年)に20代で死去した。最期に手当をおこなったのは仙台藩の藩医・工藤平助であった。
直富に代わり弟・直中が嫡子となった。