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井上 忠右衛門(いのうえ ちゅうえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士 [1]、治水家[1]、土木技術者[2]。
土佐藩士[1]。奉行職の野中兼山が寛永16年(1639年)に着工した物部川の山田堰の工事に、四つ枠法という技術を導入し、寛文4年(1664年)にこれを完成させた[1]。同堰は八田堰とともに高知藩の二大堰のひとつ。