五辻雅継
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時代 | 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 建久9年(1198年) |
死没 | 不詳 |
別名 | 花山院雅継 |
官位 | 正三位、非参議 |
主君 | 後鳥羽上皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 花山院家庶流五辻家 |
父母 | 父:五辻家経、母:藤原成親の娘 |
兄弟 | 雅継、花山院宣経、藤原実経、藤原信家 |
妻 | 安倍春元の娘 |
子 | 兼継、忠継 |
五辻 雅継(いつつじ まさつぐ)は、鎌倉時代前期の公卿。中納言五辻家経の二男。官位は非参議正三位。
不遇な生涯
[編集]父・家経の跡を継ぐも、昇進は非常に遅く非参議にとどまった。これといった官職に就けず、従三位に叙されてからも兼官はなかったため不遇な境遇であった。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 建保3年(1215年)1月5日、叙爵。
- 建保5年(1216年)9月8日、少納言に任ぜられる。
- 建保6年(1218年)1月13日、安芸権介を兼ねる。
- 承久元年(1219年)1月5日、従五位上に昇叙。
- 承久3年(1221年)7月19日、正五位下に昇叙。
- 貞応元年(1222年)8月18日、右少将に任ぜられる。
- 貞応2年(1223年)1月6日、従四位下に昇叙。同月17日、右少将に改めて任ぜられる。
- 貞応3年(1224年)1月23日、加賀介を兼ねる。
- 安貞元年(1227年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 安貞3年(1229年)1月30日、出雲介を兼ねる。
- 寛喜2年(1230年)1月5日、正四位下に昇叙。同年6月26日、怠状を提出する。8月2日には怠状が返却される。
- 天福元年(1233年)7月25日、父の喪が明けて復任する[1]。
- 暦仁元年(1238年)1月5日、従三位に叙される。
- 延応元年(1239年)1月7日、正三位に昇叙。
- 宝治元年(1247年)4月28日、出家[2]。
系譜
[編集]父:五辻家経