五所川原市立五所川原小学校
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五所川原市立五所川原小学校 | |
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北緯40度49分18.26秒 東経140度26分20.87秒 / 北緯40.8217389度 東経140.4391306度座標: 北緯40度49分18.26秒 東経140度26分20.87秒 / 北緯40.8217389度 東経140.4391306度 | |
過去の名称 |
第一四番中学区第六小学 五所川原小学校 五所川原高等尋常小学校 五所川原国民学校 五所川原町立五所川原小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五所川原市 |
併合学校 |
北辰国民学校 田川小学校 |
設立年月日 | 1873年7月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制[1] |
学校コード | B102210001132 |
所在地 | 〒037-0081 |
青森県五所川原市大字新宮字岡田161番地 | |
外部リンク | 五所川原市HP内 五所川原市内の小・中学校一覧 |
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五所川原市立五所川原小学校(ごしょがわらしりつ ごしょがわらしょうがっこう)は、青森県五所川原市大字新宮字岡田にある公立小学校。児童数は、275人(2021年5月1日現在)[2]。
概要
[編集]五所川原市の中心部から、少し北にある新宮地区にある小学校で、市内の中で児童数は五所川原市立栄小学校に次いで2番目である[2]。約500メートル離れたところには、五所川原高校がある。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)7月1日 - 字鶴野1番8号に「第一四番中学区第六小学」として創立。
- 1874年(明治7年) - 五所川原小学校と改称。
- 1979年(明治12年)12月25日 - 北津軽郡公立中学校創設。
- 1886年(明治19年)4月 - 北津軽郡立高等小学校創立(旧五所川原・栄・中川・三好・梅澤・嘉瀬・鶴田)。
- 1909年(明治42年)
- 1924年(大正13年)11月 - 字岩木町12番地に移転・増築。
- 1932年(昭和7年)7月6日 - 校歌制定。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により五所川原国民学校に改称[3]。五所川原女子尋常小学校を五所川原女子国民学校に改称。
- 1944年(昭和19年)11月29日 - 五所川原大火により、女子国民学校校舎が焼ける。本校(五所川原国民学校)が罹災者避難所となったため、12月12日まで休校とし、翌日から、女子部と二部授業となる。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 五所川原女子国民学校が北辰国民学校と改称し、高等科男女を収容。
- 1946年(昭和21年)11月23日 - 2度目の大火発生。翌日から、罹災住民を本校へ避難。12月1日まで、休校となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(新学制施行)により、五所川原町立五所川原小学校に改称。同日には北辰国民学校を併合[3]。さらに、同日から、五所川原中学校を併置し、高等科生を中学校に移籍[4]。
- 1949年(昭和24年)
- 1954年(昭和29年)
- 1958年(昭和33年)4月26日 - 五小体操制定。
- 1959年(昭和34年)2月15日 - 牛乳給食開始。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1966年(昭和41年)
- 1968年(昭和43年)9月1日 - 五所川原学校給食センター開設。本校でのセンター給食は、10月1日から実施。
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年)7月13日 - 4教室増築落成。
- 1981年(昭和56年)11月 - 新校舎のストーブを石炭ストーブから、石油ストーブに替える。
- 1983年(昭和58年)9月10日 - 「五所川原小学校百十年史」刊行
- 1987年(昭和62年)10月17日 - 新校舎建築起工式挙行。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)4月1日 - 田川小学校を併合[3]。
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)
- 3月6日 - 西校舎1階渡り廊下増築工事。
- 7月1日 - 「五小美術館」開館。
- 1993年(平成5年)11月6日 - 創立百二十周年記念式典挙行。
- 1996年(平成8年)2月9日 - 体育館にステージ幕設置。
- 2024年(令和6年)11月1日 - 創立150周年記念式典挙行[7]。
- 2025年(令和7年)4月1日 - 三好小学校を統合予定[8]。
校歌
[編集]作詞 三浦 圭三(補作 外崎 美智雄)
作曲 佐々木 英
一、津軽平野の正中に 町並しげき五所川原
わが学舎の朝夕に きくは平和の鐘の音
二、外には清き雪の花 内には燃ゆる誠の火
かざす徽章を心にて いざやはげまん日に月に
三、文化の二字を仰ぎつつ つらぬき行くは人の道
たどる旅路は遙けくも あゝ岩木嶺に雲はなし
教育目標
[編集]- 思いやりのある子
- 進んで学習する子
- 健康でたくましい子
学区
[編集]旭町、幾世森、幾島町、柏原町、上平井町、小曲、新宮、下平井町、敷島町、末広町、中平井町、長橋字橋元、長橋字広野の一部、錦町、雛田、芭蕉、若葉、新宮町、田川、蘇鉄地区[2]。
南小学校との分離
[編集]本校の学区は元々は五所川原市の旧市域(旧五所川原町域)の広範囲が学区だったが、市営富士見団地の人口増加などで、児童数が増加し、2千人を越えたため、既存施設では対応できなくなり、1960年(昭和35年)4月に南小学校が開校した[3]。
進学先
[編集]ほとんどの児童が、学区内の五所川原市立五所川原第一中学校に進学する。
アクセス
[編集]参考資料
[編集]- 『五所川原小学校百十年史』(五所川原小学校創立百十年史事業実行委員会・昭和58年9月10日刊行)の『第七章 年表「五小のあゆみ」』の265頁~296頁。
- 『平成8年度学校要覧』(五所川原市立五所川原小学校)の4頁「1.本校沿革の概要」
- 『五所川原小学校百五十周年記念誌』(五所川原市立五所川原小学校創立150周年記念記念事業事業実行委員会・令和6年11月1日刊行)の『沿革史 「五小の歩み」』の14頁〜18頁。
脚注
[編集]- ^ ただし、通知表配布に関しては、2学期制を採る。
- ^ a b c Gaccom(ガッコム)-五所川原市立五所川原小学校
- ^ a b c d e f g 『五所川原市史 下巻』636~640頁「第七編 現代の五所川原 第二章 市制施行後の五所川原 第五節 教育と文化 一 諸学校の変遷」及び同史637頁「図26 小学校変遷図」
- ^ a b 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)886頁「学校沿革 中学校 (五所川原)第一中学校」内の「五所川原中学校」沿革。
- ^ a b 出典:五所川原市耐震改修促進計画 (PDF) - 五所川原市・平成30年1月改定(11頁に建設時期の記載あり)
- ^ 五所川原小学校(五所川原市ホームページ内) - 「校長挨拶」に現在地移転に関する記載がある。
- ^ 募集(広報ごしょがわら) (PDF) (これに「記念式典」についての記載あり)
- ^ 三好小、来春に閉校 五所小に統合へ/五所川原市教委 - Web東奥・2024年6月8日更新
関連項目
[編集]- 青森県小学校一覧
- 五所川原市立五所川原中学校 - 1965年(昭和40年)3月31日までの主な進学先。
- 五所川原市役所 - 2代目庁舎(1971年~2018年5月6日)が本校跡地に建設された。