五島市立玉之浦小学校
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五島市立玉之浦小学校 | |
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北緯32度37分26秒 東経128度40分30秒 / 北緯32.62385度 東経128.67511度座標: 北緯32度37分26秒 東経128度40分30秒 / 北緯32.62385度 東経128.67511度 | |
過去の名称 |
第五大学区第五中学区玉之浦小学校 公立中等玉之浦小学校 尋常玉之浦小学校 玉之浦尋常小学校 玉之浦尋常高等小学校 玉之浦第一尋常高等小学校 玉之浦町第一国民学校 玉之浦町立玉之浦第一小学校 玉之浦町立玉之浦小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 | 五島市立平成小学校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年)5月10日 |
閉校年月日 | 2019年(平成31年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210003203 |
所在地 | 〒853-0503 |
長崎県五島市玉之浦町小川1130番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立玉之浦小学校(ごとうしりつ たまのうらしょうがっこう, Goto City Tamanoura Elementary School)は、長崎県五島市玉之浦町小川にある公立小学校。略称は「玉小」(たましょう)。
2019年(平成31年)4月に五島市立平成小学校と統合の上、校舎は五島市立玉之浦中学校に併設され[1]、小中併設校となった。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)に開校した「玉之浦小学校」を前身とする。2015年(平成27年)に創立140周年を迎える。
- 校章
- 八稜鏡(はちりょうきょう)の絵を背景にして、中央に校名の「玉小」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 作詞は西村水禽子、作曲は原格太郎による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「玉の浦」が登場する。
- 校区
- 住所表記で五島市玉之浦町の後に「玉之浦、立谷(たちや)、大宝(だいほう)、小川、中須(なかす)、幾久山(いっくやま)、上の平(かみのひら)、布浦(ぬのうら)、荒川、丹奈(たんな)、頓泊(とんとまり)」が続く地区。
- 中学校区は五島市立玉之浦中学校[2]。
沿革
[編集]- 前史
- 正史
- 1875年(明治8年)5月10日 - 「第五大学区第五中学区[4]玉之浦小学校」が開校。
- 現校門付近(西方寺下)の住宅を校舎とする。初代校長に市村喜代助が就任。
- 1879年(明治12年)12月 - 初等・中等の2科を設置し、「公立中等玉之浦小学校」に改称。
- 1882年(明治15年)2月 - 丹奈・荒川・中川・幾久山・大宝の5校を統合し、分校とする。
- 1886年(明治19年)6月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置し「尋常玉之浦小学校」に改称。
- 丹奈・荒川・中川・幾久山・大宝の5分校が簡易小学校として独立。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 「玉之浦尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更になる)。
- 1899年(明治32年)4月27日 - 高等科(修業年限4年)を設置し「玉之浦尋常高等小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の年限)が4年から6年に延長される。
- 尋常科(4年)・高等科(4年)が尋常科(6年)・高等科(2年)となる。
- 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年とする。
- 1925年(大正14年)4月14日 - 午前3:30出火の火災で第2校舎4教室を焼失。
- 1926年(大正15年)4月2日 - 6教室を増築。
- 1928年(昭和3年)5月10日 - 校旗と校歌を制定。
- 1931年(昭和6年)6月4日 - 在籍児童数が835名[5]を記録する。
- 1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
- 1934年(昭和9年)
- 3月 - 「玉之浦第一[6]尋常高等小学校」に改称。
- 6月 - 校舎を増築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
- 1943年(昭和18年)8月20日 - 午後4:55 大暴風で北側校舎4教室が倒壊。
- 1945年(昭和20年)
- 4月 - 高等科、学校での授業を休止。
- 9月 - 高等科、学校での授業を再開。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧・玉之浦町第一国民学校の初等科が改組され、「玉之浦町立玉之浦第一小学校」となる。
- 旧・玉之浦町第一国民学校の高等科が改組され、玉之浦町立玉之浦第一中学校(新制中学校)となり、当初小学校に併設される。
- 1949年(昭和24年)11月5日 - 中学校の校舎が完成し移転。併設を解消。
- 1950年(昭和25年)7月 - PTAが発足。
- 1951年(昭和26年)
- 1953年(昭和28年)5月21日 - 新校舎2教室が完成。
- 1954年(昭和29年)7月10日 - 保健室が完成。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)9月12日 - 台風により屋根・運動場に甚大な被害を受ける。
- 1957年(昭和32年)3月 - 校舎復旧護岸工事が完了。
- 1958年(昭和33年)7月 - 放送施設を完備。
- 1960年(昭和35年)11月 - 上水道が開通。
- 1962年(昭和37年)11月 - 飼育舎と養魚槽を設置。
- 1963年(昭和38年)
- 5月 - へき地集会所が完成。
- 10月 - 給食室が完成。
- 1966年(昭和41年)4月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎が完成。
- 1968年(昭和43年)
- 2月 - 給食室の移転を完了。
- 8月 - 観察池が完成。
- 1975年(昭和50年)- 創立100周年を迎える。
- 1980年(昭和60年)3月 - 卒業記念カプセル、御影石製校門札、裏門を設置。
- 1991年(平成3年)7月29日 - 台風9号によりへき地集会所が使用不能となり解体。
- 1997年(平成9年)11月 - 体育館が完成。
- 1998年(平成10年)7月 - パソコンを設置。
- 2000年(平成12年)4月 - インターネットが開通。
- 2003年(平成15年)
- 2月 - 下足箱を移動し、正面玄関からの出入りを開始。
- 4月 - 木造校舎を図工室・家庭科室として使用。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 「五島市立玉之浦小学校」と改称。
- 2005年(平成17年)4月 - 完全給食を開始。5学級(複式1学級)編成とする。
- 2006年(平成18年)4月 - 4学級編成(複式2学級)編成とする。
- 2009年(平成21年)7月 - AEDを設置。
- 2010年(平成22年)4月 - 3学級(完全複式)とする。
- 2011年(平成23年)6月 - 耐震化工事を開始。
- 2014年(平成26年)4月 - 特別支援学級を開設。
- 2019年(平成31年)
- 3月2日 - 閉校記念式典挙行[8]。
- 4月1日 - 五島市立玉之浦中学校および五島市立平成小学校と統合し「五島市立玉之浦小中学校」となる。なお統合後の校舎は玉之浦中に併設される[1]。
- 移転前の校地 - 〒853-0411 長崎県五島市玉之浦町玉之浦797番4号(北緯32度37分59.4秒 東経128度37分10.17秒 / 北緯32.633167度 東経128.6194917度)
交通アクセス
[編集]- 旧・玉之浦小学校
-
- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)「玉之浦」バス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 旧・玉之浦小学校
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- 五島市役所玉之浦支所
- 五島市立玉之浦保育所
- 玉之浦郵便局
- 五島市消防本部玉之浦出張所
- 五島漁協玉之浦支所
- 西方寺
参考資料
[編集]- 「玉之浦町郷土誌」(1995年(平成7年)3月31日, 玉之浦町)p. 382
脚注
[編集]- ^ a b 平成30年2月教育委員会定例会 (PDF) - 五島市ウェブサイト
- ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
- ^ 資料編明治時代からの年表(2)玉之浦町 - わたしたちの五島市(五島市Web版社会科副読本)
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区(壱岐・対馬を含む)、旧福江藩が第五中学区。
- ^ 出身地の内訳は玉之浦本籍425名、南松浦郡内他所84名、長崎県内他所60名、徳島県198名、他府県67名。
- ^ この時尋常高等小学校の統廃合が行われ、丹奈と荒川の2校が統合され「玉之浦第二尋常高等小学校」、中川と幾久山の2校が統合され「玉之浦第三尋常高等小学校」となった。
- ^ この時、第二小学校は「玉之浦町立七岳小学校」に、第三小学校は「玉之浦町立東小学校」に改称。この2校は1990年(平成2年)に大宝小学校と統合され、玉之浦町立平成小学校となった。
- ^ 学びやとの別れ惜しむ 五島・玉之浦小が閉校式 - 長崎新聞(Web版・2019年3月3日0時02分公開)