五十嵐勇二
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五十嵐 勇二(いがらし ゆうじ、1942年〈昭和17年〉9月2日 - 2022年〈令和4年〉1月14日)は、日本の実業家。元マルハニチロホールディングス代表取締役社長。
人物
[編集]神奈川県出身。 旧日本興業銀行(後のみずほ銀行)出身で、常務取締役を経て、横浜ベイスターズの売却を余儀なくされるなど、経営状況の思わしくなかったマルハ(現・マルハニチロ)の立て直しのため、主取引銀行であった同行から派遣され、代表取締役専務を歴任後、代表取締役社長に昇格した。
2004年(平成16年)には株式移転により設立された持株会社・マルハグループ本社(後のマルハニチロホールディングス)の初代社長に就任。さらに、ニチロ(後のマルハニチロ食品)との経営統合を手がけ、マルハグループ本社をマルハニチロホールディングスに改組し代表取締役社長に横滑りするなど、経営改革に辣腕を振った。
2010年(平成22年)4月、代表権のない会長に勇退し[1]、その後相談役に退いた[2]。
2022年(令和4年)1月14日、ぼうこうがんのため死去[3][4]。79歳没。
略歴
[編集]- 1965年(昭和40年)
- 1993年(平成5年)6月 - 同行取締役債券業務部長。
- 1996年(平成8年)6月 - 同行常務取締役管理部長兼法務部長。
- 1997年(平成9年)2月 - 同行常務取締役大阪支店長。
- 2000年(平成12年)6月 - マルハ代表取締役専務[3]。
- 2002年(平成14年)3月 - 同社代表取締役社長[3]。
- 2004年(平成16年)4月 - マルハグループ本社代表取締役社長[3]
- 2007年(平成19年)10月 - マルハニチロホールディングス代表取締役社長[3][5]。
- 2010年(平成22年)4月 - 同取締役会長[3]。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)3月 - 同相談役を退任[3]
脚注
[編集]- ^ 会社人事・機構改革 (PDF) - 株式会社マルハニチロホールディングス 2012年3月1日
- ^ “人事、マルハニチロホールディングス”. 日本経済新聞. (2012年5月21日) 2014年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “訃報”. マルハニチロ (2022年1月18日). 2022年1月18日閲覧。
- ^ “五十嵐勇二氏が死去 元マルハニチロホールディングス(現マルハニチロ)社長”. 日本経済新聞. (2022年1月18日) 2022年1月18日閲覧。
- ^ 株式会社ニチロとの経営統合に伴う商号変更および役員人事のお知らせ (PDF) - 株式会社マルハニチロホールディングス 平成19年10月1日
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