二川光吉
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二川 光吉(ふたがわ みつよし、生没年不詳)は、南北朝時代の細川氏家臣。本姓は藤原氏。通称は四郎左衛門。
三河国渥美郡二川郷(現在の愛知県豊橋市二川町)を本籍とする二川氏の出身。
貞治元年(1362年)、讃岐国守護職となった細川頼之に従い同国へ移住した。讃岐国香川郡井原荘龍満(現在の香川県高松市香川町)に領地を得て龍満城を築城し初代城主となったが、このとき名字を二川から龍満に改めたという。
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