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岩泉町立二升石小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二升石集学校から転送)
岩泉町立二升石小学校
校舎外観の画像募集中
地図北緯39度50分29秒 東経141度44分45秒 / 北緯39.84139度 東経141.74583度 / 39.84139; 141.74583座標: 北緯39度50分29秒 東経141度44分45秒 / 北緯39.84139度 東経141.74583度 / 39.84139; 141.74583
過去の名称 公立二升石学校
二升石小学校
二升石簡易小学校
岩泉村立二升石尋常小学校
岩泉町立二升石尋常小学校
二升石国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 二升石村( - 1889年)
岩泉村(1889年 - 1922年)
岩泉町(1922年 - 2019年)
併合学校 岩泉町立二升石小学校松橋分校
設立年月日 1877年10月
閉校年月日 2019年3月31日
共学・別学 男女共学
分校 松橋分校(1992年廃止)
1901年 - 1992年
学期 3学期制
校地面積 8,693 m2[1]
校舎面積 928 m2[1]
設計者 基本設計:NUK建築計画事務所[2]
実施設計:久慈設計[2]
所在地 027-0507
岩手県下閉伊郡岩泉町二升石字大根13
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岩泉町立二升石小学校松橋分校
画像募集中
地図北緯39度50分44.68秒 東経141度43分9.68秒 / 北緯39.8457444度 東経141.7193556度 / 39.8457444; 141.7193556
過去の名称 岩泉村立二升石尋常小学校松橋分教場
岩泉町立二升石尋常小学校松橋分教場[3]
二升石国民学校松橋分教場[4]
国公私立の別 公立学校
設置者 岩泉村(1902年 - 1922年)
岩泉町(1922年 - 1992年)
学区 松橋地区
設立年月日 1901年2月15日
閉校年月日 1992年3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 027-05[5]
岩手県下閉伊郡岩泉町二升石字日蔭54[5]
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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画像外部リンク
校門前からの写真(本校) - ファイナルアクセス
Wayback Machine・2022年10月10日)

岩泉町立二升石小学校(いわいずみちょうりつ にしょういししょうがっこう)は、岩手県下閉伊郡岩泉町にあった公立小学校分校二升石小学校松橋分校、閉校後の校舎を活用した二升石集学校についても記載。

概要

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学制発布後の1877年に開校し、児童数の減少により2019年をもって閉校した小学校である[6]。校名に「二升石」を冠していたのは、この地区一帯を指す「二升石」という地名が由来している[7]。なお校名は、勅令や設置自治体の変遷などにより6回変更している。学区は、岩泉町の中東部を占める二升石地区の全域としていた[8][9]

1885年に現在地へ移転するまでは、長安寺(二升石字坂の下21番地)門前の民家を借用していた[10][11]。当地では、開校以前から長安寺の和尚によって開設された寺子屋での授業が行われていた[10]

校歌は、1930年に制定されたものとそれを編曲したものがある[12][11]。旧校歌は当校の教諭を務めていた西塔幸子が作詞・作曲した[13]。一方の新校歌は、創立90周年の際に当時の校長である八重樫礌次が編曲した[11][14]

1901年から1992年にかけて、二升石小学校松橋分校(へき地校1級[5])を設置していた[11]。当校唯一の分校として二升石の松橋地区を学区としていたが、児童数の低迷により1981年度からは新入生が居ない年が相次いでいた[注 1]。閉校後に校舎は解体され、跡地には松橋地区生涯学習会館が建設された。

閉校後、校舎は後述するIT交流施設に転用されている[15]

沿革

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1869年、二升石字坂の下にある長安寺の19世徳岩恵林大和尚が、門前の民家を寺子屋として開設したのが起源となる。開設以降は檀家の子弟に対して授業を行っていた[10]。1872年に発せられた学制により、1877年に寺子屋と置き換わる形で開校した。寺子屋で教えていた和尚も教導職を受けて1879年から指導にあたった。その後、1885年に二升石小学校への改称と共に、落成した校舎へ移転した。1901年には二升石字日蔭54番地に二升石尋常小学校松橋分教場を開設した[16]

1992年には松橋分校を併合し[11]、1993年には新たな校舎と体育館が落成した[17]

2016年には、平成28年台風第10号によって小本川と並行する国道455号が寸断され、4人の児童が通学できなくなった[18]そのため、当面の間は最寄の浅内小学校へ通学した[要出典]。また避難所を開設し、最大で70人余りの避難者を受け入れた[11]

2015年3月には町が「町学校適正配置基本計画」を策定し、統廃合の対象となった[19][20]。その後保護者や地区民を対象に協議を重ねていき、2018年12月に行われた町定例会において岩泉町立岩泉小学校(岩泉町岩泉)へ2019年4月付で統合する旨の条例改正案が可決された[20]。2019年3月10日には最後の卒業式を挙行し、2人の卒業生を送り出した[6]。同月24日には閉校式と思い出を語る会が開かれ、児童・教職員のほかに地区民や歴代の校長らが集結する中、地区の一輪車チーム「3up.UC」による演技や大念仏踊りが披露された。同月31日をもって142年の歴史に幕を閉じ、延べ920人ほどの児童を送り出した[11]

閉校後の2021年には、使用されなくなった施設の有効活用を図るべく、町の公式ホームページで利活用をしたい希望者を募集した[17]。その結果、全国の廃校で「集学校」を展開している一般社団法人おかえり集学校が申し出、2023年11月に「二升石集学校」を開業した[15][21]

年表

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  • 1869年明治2年) - 長安寺門前に寺子屋を開設[22]
  • 1877年(明治10年)10月 - 開校[23][6]
  • 1879年(明治12年) - 「公立二升石学校」に改称[7]
  • 1885年(明治18年) - 「二升石小学校」に改称。校舎を落成[16]
  • 1887年(明治20年) - 「二升石簡易小学校」に改称[16]
  • 1892年(明治25年) - 「岩泉村立二升石尋常小学校[24]」に改称[16]
  • 1901年(明治34年)2月15日 - 松橋地区に松橋分教場を開設[16]
  • 1922年大正11年)8月1日 - 町制施行に伴い、「岩泉町立二升石尋常小学校」に改称。
  • 1930年昭和5年) - 校歌を制定[12]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「二升石国民学校」に改称[11]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行に伴い、「岩泉町立二升石小学校」に改称。
  • 1967年(昭和42年) - 新校歌を制定[11]
  • 1987年(昭和62年) - 西塔幸子の歌碑と校歌碑を校庭に建立[12]
  • 1992年平成4年)4月1日 - 松橋分校を統合[25]
  • 1993年(平成5年) - 新校舎と体育館を落成[17]
  • 2015年(平成27年)3月 - 岩泉町が「町学校適正配置基本計画」を策定し、統廃合の対象となる[19][20]
  • 2016年(平成28年)9月7日 - 平成28年台風第10号により道路が寸断されて通学不可となった児童4人が、浅内小学校へ通学[18]
  • 2018年(平成30年)12月 - 岩泉町定例会にて岩泉小学校へ統合する条例改正案が可決[20]
  • 2019年(平成31年)

閉校後

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西塔幸子との関わり

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西塔は1927年から4年間、当校の教諭を務めていたことから、校舎の一角には「西塔幸子コーナー」と称した西塔に関する様々な資料を展示したり、校庭には西塔の歌碑や校歌の碑が当時の教え子や地区民によって建立された[29][30]

二升石集学校

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二升石集学校
画像募集中
情報
用途 IT交流施設
旧用途 岩泉町立二升石小学校
管理運営 一般社団法人 おかえり集学校
開館開所 2023年11月1日(プレオープン)
所在地 027-0507
岩手県下閉伊郡岩泉町二升石字大根13
座標 北緯39度50分28.5秒 東経141度44分45.4秒 / 北緯39.841250度 東経141.745944度 / 39.841250; 141.745944 (二升石集学校)
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二升石集学校(にしょういししゅがっこう)は、閉校した当校の施設を活用したIT交流施設。IT機器のリユース事業を展開しているリングロー株式会社が主体となって取り組む「おかえり集学校プロジェクト」に基づき、2023年11月に全国18校目、県内では初となる開設を果たした[21][15]。リングローの関連法人である一般社団法人おかえり集学校が運営しており、スマートフォンやパソコンなどのIT機器に関する修理や相談をはじめ、空き教室を地区民の集会やイベントの場として貸し出している[15][31]。また、企業のサテライトオフィスとして貸し出すことも見込んでいる[15]

施設概要

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主な施設を掲載。

  • 校舎(928 m2) - 1993年竣工の木造一部鉄筋コンクリート造2階建ての構造で、体育館と一体になっている[17][2]。1階は、中廊下をふくらませてホールとしての役目を果たしているほか、多目的スペースを設けている。2階は普通教室やワークスペースなどを配置している。1994年には平成6年度公立学校優良施設に選定され、文教施設協会協会賞(多様な学習空間部門)を受賞した[2]
  • 体育館(603 m2) - 1993年竣工の鉄骨造平屋建て[17][2]
  • 校庭(3,535 m2[1]
  • 教員住宅(3戸・115 m2[1]

※プールは設置されていなかった[1]

空中写真(2011年8月)

児童・学級数

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本校の児童・学級数

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1881年度以降の児童数と学級数の推移。1936年度から1940年度、1957年度から1985年度、2000年度以降は毎年度掲載。

記録が残る中では1949年度の140人が最多である[注 2]。その後、1960年度を境に少子化過疎化により減少していた[11][32]。昭和末期から1990年代後半にかけては30人前後で推移していたが、2000年代に突入した直後に半数近く減少し、2005・6年度には過去最小に匹敵する11人まで減少した。その後は30人近くまで増加したが再度減少に転じ、閉校する2018年度には10人と過去最少を記録した。児童数の減少を受けて1966年度から複式学級が発生し、閉校時まで解消することは無かった[注 3]

年度 児童数 増減 学級数 増減 出典 備考
1881(明治14)年度 42 不明 [33]
1910(明治43)年度 不明 1 [24]
1918(大正7)年度 1 0 [3]
1922(大正11)年度 1 0 [34]
1926(大正15)年度 3 2 [35]
1931(昭和6)年度 108 3 0 [36] 松橋分校分含む
1933(昭和8)年度 116 8 3 0 [37]
1934(昭和9)年度 112 -4 3 0 [38]
1936(昭和11)年度 104 -8 3 0 [39]
1937(昭和12)年度 127 23 3 0 [40]
1938(昭和13)年度 127 0 3 0 [41]
1939(昭和14)年度 135 8 3 0 [42]
1940(昭和15)年度 128 -7 4 1 [43]
1949(昭和24)年度 140 12 5 1 [44]
1955(昭和30)年度 100 -40 4 -1 [45]
1957(昭和32)年度 98 -2 4 0 [46]
1958(昭和33)年度 94 -4 4 0 [47]
1959(昭和34)年度 90 -4 3 -1 [48]
1960(昭和35)年度 121 31 4 1 [49]
1961(昭和36)年度 113 -8 4 0 [11][50]
1962(昭和37)年度 101 -12 5 1 [51]
1963(昭和38)年度 107 6 5 0 [52]
1964(昭和39)年度 97 -10 6 1 [53]
1965(昭和40)年度 91 -6 6 0 [54]
1966(昭和41)年度 84 -7 5 -1 [55] 複式学級発生
1967(昭和42)年度 81 -3 5 0 [56]
1968(昭和43)年度 84 3 5 0 [57]
1969(昭和44)年度 86 2 5 0 [58]
1970(昭和45)年度 84 -2 4 -1 [59]
1971(昭和46)年度 80 -4 5 1 [60]
1972(昭和47)年度 78 -2 5 0 [61]
1973(昭和48)年度 73 -5 5 0 [62]
1974(昭和49)年度 67 -6 5 0 [63]
1975(昭和50)年度 60 -7 5 0 [64]
1976(昭和51)年度 56 -4 4 -1 [65]
1977(昭和52)年度 56 0 4 0 [66]
1978(昭和53)年度 51 -5 4 0 [67]
1979(昭和54)年度 55 4 4 0 [68]
1980(昭和55)年度 46 -9 4 0 [69]
1981(昭和56)年度 45 -1 3 -1 [70]
1982(昭和57)年度 47 2 4 1 [71]
1983(昭和58)年度 40 -7 4 0 [72]
1984(昭和59)年度 38 -2 3 -1 [73]
1985(昭和60)年度 38 0 4 1 [5]
1988(昭和63)年度 28 -10 不明 [11]
1989(平成元)年度 25 -3 [74]
1993(平成5)年度 35 10 4 [2]
1997(平成9)年度 32 -3 不明 [75]
1998(平成10)年度 30 -2 [74]
2000(平成12)年度 24 -6 3 [76]
2001(平成13)年度 19 -5 3 0 [77]
2002(平成14)年度 15 -4 3 0 [78]
2003(平成15)年度 13 -2 3 0 [79]
2004(平成16)年度 12 -1 3 0 [80]
2005(平成17)年度 11 -1 3 0 [81]
2006(平成18)年度 11 0 3 0 [82]
2007(平成19)年度 17 6 3 0 [83]
2008(平成20)年度 21 4 4 1 [84]
2009(平成21)年度 27 6 4 0 [85]
2010(平成22)年度 29 2 4 0 [86]
2011(平成23)年度 28 -1 4 0 [87]
2012(平成24)年度 30 2 3 -1 [88]
2013(平成25)年度 27 -3 3 0
2014(平成26)年度 26 -1 3 0
2015(平成27)年度 22(1) -4 4(1) 1 特別支援学級設置
2016(平成28)年度 18 -4 3 -1
2017(平成29)年度 11 -7 3 0 新入生なし[89]
2018(平成30)年度 10 -1 3 0 閉校
※児童数・学級数内の括弧は特別支援児童・学級数(内数)

分校の児童・学級数

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1910年度以降の「二升石小学校松橋分校」の児童数と学級数の推移。1957年度から1985年度は毎年度掲載。

年度 児童数 増減 学級数 増減 出典 備考
1910(明治43)年度 不明 1 [24]
1918(大正7)年度 1 0 [3]
1955(昭和30)年度 33 2 1 [45]
1957(昭和32)年度 50 17 2 0 [46]
1958(昭和33)年度 49 -1 2 0 [47]
1959(昭和34)年度 50 1 2 0 [90]
1960(昭和35)年度 50 0 2 0 [49]
1961(昭和36)年度 50 0 2 0 [50]
1962(昭和37)年度 64 14 2 0 [51]
1963(昭和38)年度 56 -8 2 0 [52]
1964(昭和39)年度 58 2 3 1 [53]
1965(昭和40)年度 50 -8 3 0 [54]
1966(昭和41)年度 43 -7 3 0 [55]
1967(昭和42)年度 43 0 3 0 [56]
1968(昭和43)年度 37 -6 3 0 [57]
1969(昭和44)年度 34 -3 2 -1 [58]
1970(昭和45)年度 32 -2 2 0 [59]
1971(昭和46)年度 30 -2 2 0 [60]
1972(昭和47)年度 31 1 3 1 [61]
1973(昭和48)年度 25 -6 2 -1 [62]
1974(昭和49)年度 26 1 4 2 [63]
1975(昭和50)年度 22 -4 3 -1 [64]
1976(昭和51)年度 21 -1 3 0 [65]
1977(昭和52)年度 18 -3 4 1 [66]
1978(昭和53)年度 17 -1 3 -1 [67]
1979(昭和54)年度 18 1 3 0 [68]
1980(昭和55)年度 13 -5 3 0 [69]
1981(昭和56)年度 11 -2 3 0 [70] 新入生なし[70]
1982(昭和57)年度 11 0 3 0 [71]
1983(昭和58)年度 9 -2 2 -1 [72] 新入生なし[72]
1984(昭和59)年度 8 -1 2 0 [73]
1985(昭和60)年度 5 -3 2 0 [5] 新入生なし[5]
1989(平成元)年度 3 -2 不明 [74]
1991(平成3)年度 不明 閉校

学区

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  • 岩泉町二升石
    • 二升石地区
    • 松橋地区

出典[9]

進学先の中学校

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公立中学校の場合。

アクセス

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国道455号沿いにある二升石集落の奥地に位置していた。

バス

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  • 「下二升石」バス停から徒歩で約6分

自動車

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  • 岩泉町中心市街地から国道455号経由で約10分
  • 東北電力浅内発電所前のT字路交差点(岩泉町浅内)から国道455号経由で約5分

※2014年まで二升石駅JR東日本岩泉線)が付近に所在していたが、廃線に伴い廃止された。

周辺

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  • 長安寺
  • 二升石駅(廃駅)

脚注

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注釈

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  1. ^ 詳細は「#分校の児童・学級数」を参照
  2. ^ 広報いわいずみでは1961年度が最多と表記されており、相違が見られる。
  3. ^ 厳密には1964・5年度以外は複式学級が設けられていたが、1966年度に児童数の減少による複式学級が発生した

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 岩泉町統計書 第10号 平成30年度版 - 11. 教育・文化”. 岩泉町. p. 82 (2018年). 2022年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 文部省大臣官房文教施設部,文部省教育助政局施設助成課『教育と施設』45号、アウゲ・リプロサービス、1994年6月、78,83頁。doi:10.11501/2271195ISSN 0288-7541 
  3. ^ a b c 東京書籍商組合『帝国小学校名簿 再版』東京書籍商組合事務所、1919年、411頁。doi:10.11501/939365https://dl.ndl.go.jp/pid/939365/1/2172023年10月31日閲覧 
  4. ^ 新岩手日報社『岩手年鑑 昭和18年』岩手協同出版社、1943年、131頁。doi:10.11501/1069816https://dl.ndl.go.jp/pid/1069816/1/1932023年11月3日閲覧 
  5. ^ a b c d e f 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和60年度』岩手県教育委員会、1985年、114-115頁。doi:10.11501/12111488 
  6. ^ a b c d 二升石小学校で最後の卒業式」『NHK』2019年3月20日。オリジナルの2019年3月21日時点におけるアーカイブ。2024年1月20日閲覧。
  7. ^ a b 二升石村(近世)”. 100辞書・辞典一括検索. 2022年10月8日閲覧。
  8. ^ 二升石村”. コトバンク. 2023年10月29日閲覧。
  9. ^ a b c 町立小学校及び中学校の住所ごとの学区一覧”. 岩泉町公式ホームページ. 岩泉町. 2019年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月29日閲覧。
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  11. ^ a b c d e f g h i j k l 広報いわいずみ No.905”. 岩泉町. pp. 5,8-9 (2019年5月1日). 2022年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月31日閲覧。
  12. ^ a b c 佐々木正太郎 2000, p. 127.
  13. ^ 佐々木正太郎 2000, pp. 126–127.
  14. ^ 佐々木正太郎 2000, p. 128.
  15. ^ a b c d e f 空き校舎をITの拠点に 岩泉・旧二升石小で29日に記念行事」『岩手日報』2023年10月28日。オリジナルの2024年1月3日時点におけるアーカイブ。2023年10月31日閲覧。
  16. ^ a b c d e 関口喜多路 1980, p. 505.
  17. ^ a b c d e 廃校舎利活用希望者を募集します”. 岩泉町公式ホームページ. 岩泉町. 2024年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月8日閲覧。
  18. ^ a b いわての復興教育推進事業(震災学習列車活用スクール)成果報告書”. 岩手県. 2024年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月9日閲覧。
  19. ^ a b いわいずみ議会だより No.179”. 岩泉町. p. 9 (2017年8月1日). 2023年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月7日閲覧。
  20. ^ a b c d 議会だより「いわいずみ」No.185”. 岩泉町. p. 4 (2019年1月29日). 2022年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月9日閲覧。
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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