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鳥居清倍 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二代鳥居清倍から転送)
二代目市川海老蔵の役者絵(演目名・役名不明)。二代目清倍画。

二代目 鳥居清倍(にだいめ とりい きよます、宝永3年〈1706年〉 - 宝暦13年11月2日1763年12月6日〉)は、江戸時代中期の浮世絵師。鳥居家二代目。

来歴

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初代鳥居清信の門人で享保9年(1724年)に清信の娘婿となり、以後清倍を名乗ったという。俗称は半三郎と伝わる。初代清信とともに『頼光一代記』に鳥居清倍の名で挿絵を描いたのが最初で、役者絵では享保10年から宝暦9年(1759年)にかけてのものが残っている。初代鳥居清倍は享保2、3年ごろに作画活動を止めており、あるいはこの頃没したと見られるが、享保3年頃から享保7年のあいだに描かれた「清倍」の作とされる役者絵が複数ある。この享保3 - 7年の間の作について武藤純子は、「複数の絵師が筆をとっていたのではないだろうか。異なる画風、落款のものが雑多にみられる」と述べ、初代清倍や二代目清倍以外に当時「清倍」の名を使い絵を描いていた者がいたことを示唆している(『初期浮世絵と歌舞伎 役者絵に注目して』)。なおかつては二代目島居清信とは同一人物ともいわれていたが、現在ではそれは否定されている。

初代清信及び初代清倍の影響を受けた画風で、鳥居家のお家芸である役者絵及び美人画を描いた。役者絵では丹絵紅絵漆絵紅摺絵の各時代のものが残る。また浮絵の作品も手がけており、「近江八景」のシリーズが知られている。享年58。墓所は豊島区染井墓地、法名は清巌院宗林日浄信士。門人に鳥居清満がおり、一説には鳥居清広が門人であったともいわれる。

作品

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  • 二代目市川団十郎と市川升五郎」 細判漆絵 城西大学水田美術館所蔵
  • 「瀬川菊次郎の四季のおどり」 細判漆絵 城西大学水田美術館所蔵 ※画中に「四季のおどり」とあり
  • 「荻野伊三郎の曽我五郎」 細判漆絵 大英博物館所蔵 ※享保17年(1732年)正月、江戸中村座の『初暦商曽我』より
  • 「瀬川菊次郎のおくま」 細判漆絵 ホノルル美術館所蔵 ※元文2年(1737年)正月、江戸中村座『曜舞鶴曽我』より
  • 「瀬川菊次郎のお菊」 細判漆絵 城西大学水田美術館所蔵 ※元文4年11月、江戸中村座『都染薫鉢木』より
  • 「市川海老蔵の目黒不動・市川団十郎のこんがら童子・中村伝九郎のせいたか童子」 大判紅摺絵 東京国立博物館所蔵 ※宝暦5年(1755年)11月、江戸中村座『惶弓勢源氏』より

参考文献

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  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年 ※94頁
  • 小林忠大久保純一 『浮世絵の鑑賞基礎知識』 至文堂、1994年
  • 武藤純子 『初期浮世絵と歌舞伎 役者絵に注目して』 笠間書院、2005年
  • 『水田コレクション名品選』 学校法人城西大学水田美術館、2011年
  • 「大浮世絵展」企画委員会編 『大浮世絵展』 読売新聞社、2014年