二ツ塚古墳
表示
二ッ塚古墳 | |
---|---|
写真右上、誉田御廟山古墳の周濠に食い込むように位置する二ツ塚古墳。 | |
所属 | 古市古墳群 |
所在地 | 大阪府羽曳野市誉田6丁目 |
位置 | 北緯34度33分50.2秒 東経135度36分41.2秒 / 北緯34.563944度 東経135.611444度座標: 北緯34度33分50.2秒 東経135度36分41.2秒 / 北緯34.563944度 東経135.611444度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 110メートル |
築造時期 | 4世紀後半 |
史跡 | 国の史跡 |
特記事項 | 誉田御廟山古墳に隣接 |
地図 |
二ツ塚古墳(ふたつづかこふん)は、大阪府羽曳野市誉田6丁目にある4世紀後半の前方後円墳である。国の史跡に指定され、世界文化遺産に登録されている古市古墳群内の1基であり、誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)の東側に食い込むように隣接している[1]。
立地
[編集]標高25メートルの山林および原野に立地しており、東側水田からの比高は0メートルとなっている[2]。
形状規模・外表施設等
[編集]主軸方向はN19度Eであり、周濠をともなう。周濠をふくんだ総長は140メートル、墳丘長は110メートルの規模を有する。後円部は、径73メートル、高さ10.1メートル、頂径は12メートルである。前方部は幅60メートル、長さ50メートル、高さ8.6メートルであり、前方部と後円部の高差は1.5メートルとなっている。くびれ部の幅は46メートルで外表施設としては葺石が全面を覆っている[2]。
時代
[編集]この古墳の30年ないし50年後に築造されたとみられる誉田御廟山古墳の内濠と内堤が、この古墳を避けるように大きく歪んでおり、また外濠も同古墳手前で途切れていることから、誉田御廟山古墳の被葬者(応神天皇か)にごく近い人物が埋葬されたと考えられている[3]。