亀浦倭城
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亀浦倭城 (大韓民国) | |
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別名 | 甘同浦城、亀浦義城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 小早川隆景・立花宗茂・立花直次・筑紫広門・小早川秀包・毛利秀元 |
築城年 | 1593年 |
主な城主 | 黒田長政 |
廃城年 | 1598年 |
遺構 | 石垣、虎口、登り石垣、空堀 |
指定文化財 | 釜山広域市記念物第6号 |
位置 | 北緯35度13分0秒 東経129度0分2.5秒 / 北緯35.21667度 東経129.000694度座標: 北緯35度13分0秒 東経129度0分2.5秒 / 北緯35.21667度 東経129.000694度 |
地図 |
亀浦倭城(くぽうぇそん・カードカイ城)は、韓国 釜山広域市 北区 に文禄2年に築かれた倭城。別名は甘同浦城、亀浦義城。現在は城跡となっている。
概要
[編集]文禄・慶長の役を通じて日本軍は朝鮮半島南岸各地に倭城群を築いて布陣していた。亀浦倭城は 金海 竹島倭城 の出城として小早川隆景と立花宗茂を中心に築城を始めた。洛東江 に面しており、対岸の金海竹島倭城と向き合っていた。また船の停泊も可能であった。
慶長の役では主に 黒田長政 が在番していた。