九鬼紋七 (九代目)
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9代[注 1]九鬼 紋七(くき もんしち、1895年(明治28年)10月13日[1] - 1990年(平成2年)11月17日[1])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)を務めた。旧名・徳三、号・寿園[1]。
経歴
[編集]三重県出身。四日市で代々肥料商を営む大地主の長男として生まれる[2]。家業を継いだ父親の先代紋七は三重県の多額納税者であり、九鬼産業の重役を務めた[2]。1921年慶應義塾大学部理財科卒業[3]。1927年に父親が死去し、家督を相続[2]。英国留学、欧米視察[4]の後、東洋紡績監査役[3][4]、東洋電線監査役[3]、日本無線電信取締役[3][4]、三重銀行頭取[3]などを務め、1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後、日本進歩党に加入するが、推薦議員のため公職追放となる[5]。
この他、四日市商工会議所会頭[3]、四日市製油場[3]、九鬼商事各社長[3]、名古屋少年審判所保護司[3]などを歴任した。
親族
[編集]- 父:九鬼紋七(8代目) - 実業家、衆議院議員。四日市九鬼家当主。
- 妻:はる(1903-?) - 静岡県沼津の大地主・市河家の娘で、外交官市河彦太郎の妹。日本女子大卒業[6]。
- 妹:くら(1900-?) - 外交官の永田安吉(1888-?)妻[7][8]。山脇高等女学校卒業。
- 長男:覇郎(1924-) - 10代目九鬼紋七を襲名。四日市喘息の療養のため、1957年ころに一家で東京に転居。九鬼産業社長、会長を務めた。[9]
- 孫:祥夫(1955-) - 11代目九鬼紋七を襲名。覇郎の長男。慶應幼稚舎、慶應志木高校、慶應義塾大学商学部卒業後、簿記専門学校を経て1981年九鬼産業入社、1998年に同社代表取締役就任。[9]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本人名大辞典』663頁では「2代」。
出典
[編集]- ^ a b c 『日本人名大辞典』663頁。
- ^ a b c 九鬼德三『人事興信録』第8版
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』220頁。
- ^ a b c 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、150頁。NDLJP:1439721。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、294頁。NDLJP:1276156。
- ^ 九鬼紋七『人事興信録. 第14版 上』
- ^ 永田安吉『人事興信録. 第14版 下』
- ^ 永田安吉 ながたやすきち公益財団法人 東洋文庫, 2013
- ^ a b 『跡継ぎの平成 3, 第 3 巻』中部経済新聞社, 2001、p190-194
参考文献
[編集]- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。