九州工業大学短期大学部
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九州工業大学短期大学部 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1951年 |
廃止 | 1961年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 日本 |
本部所在地 | 福岡県戸畑市中原[注釈 1] |
キャンパス | |
学部 |
機械科第二部 電気科第二部 |
九州工業大学短期大学部(きゅうしゅうこうぎょうだいがくたんきだいがくぶ)は、福岡県戸畑市中原[注釈 1]に本部を置いていた日本の国立大学である。1951年に設置され、1961年に廃止された。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 福岡県戸畑市[注 1]に所在した日本の国立短期大学で、併設元は九州工業大学[注 2]。
- 日本で最初に開学した国立短大の一つとして1951年に2学科で入学総定員60名体制をもって開学。
- 1958年度の入学生を最後に[注釈 2]、1961年に短期大学としての使命を終えた[3]。
学風および特色
[編集]- 九州工業大学短期大学部は、夜間部が設置されていたことから、勤労学生に対する技術教育に力をいれていたことがうかがえる。
沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 福岡県戸畑市中原[注釈 1]
年度別学生数
[編集]通学課程
[編集]- | 機械科 | 電気科 | 出典 |
---|---|---|---|
入学定員 | 30 | 30 | - |
総定員 | 90 | 90 | - |
1954年 | 男106 | 男105 | [9] |
1955年 - 1957年 | 不明 | 不明 | [注 4] |
1958年 | 男105 | 男102 | [10] |
1959年 | 男67 | 男63 | [11] |
1960年 | 男33 | 男46 | [12] |
1961年 | △ | △ | [13] |
教育および研究
[編集]組織
[編集]- 機械科第二部 入学定員 30
- 電気科第二部 入学定員 30
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]大学関係者一覧
[編集]大学関係者
[編集]- 嘉村平八:九州工業大学の学長と兼任。
出身者
[編集]施設
[編集]キャンパス
[編集]- 福岡県戸畑市中原にある九州工業大学のキャンパスと共同使用されていた。
卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]- 多くは勤労学生であり、卒業後もそのまま職を継続する人も少なからずいたものとみられる。
日本で最初に開学した国立短大シリーズ
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]補足
[編集]出典
[編集]- ^ 学校年鑑 1959-601コマ目-及び学校年鑑 1959-602コマ目-
- ^ 短期大学一覧 昭和34年度 (短期大学資料 ; 第23号)
- ^ 政調週報 3(13)
- ^ 沿革|大学案内|九州工業大学より。
- ^ 福岡県年鑑 昭和33年版
- ^ 文部省a, p. 60.
- ^ 短期大学一覧 昭和26年度 (短期大学資料 ; 第3号)
- ^ 短期大学一覧 昭和36年度 (短期大学資料 ; 第27号)
- ^ 文部省'54.
- ^ 全国学校総覧 昭和34年版
- ^ 全国学校総覧 昭和35年版
- ^ 全国学校総覧 昭和36年版
- ^ 全国学校総覧 昭和37年版
- ^ 短期大学一覧 昭和33年度 (短期大学資料 ; 第19号)
- ^ 東京を中心とした全国学校案内 32年版
- ^ 文部省e, p. 31.
- ^ 映画テレビ技術 = The motion picture & TV engineering (262)より。
参考文献
[編集]教員養成機関
[編集]- 文部省大学学術局『教員養成課程認定大学短期大学一覧 : 附指定教員養成機関一覧. (昭和30年) / (編)』(PDF)文部省 。
全国学校総覧
[編集]- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房 。
戦後教育資料
[編集]- 文部省『申請大学、短期大学等一覧 短期大学審査状況』(PDF)文部省 。