久芳庄二郎
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久芳 庄二郎(くば しょうじろう、1892年(明治25年)9月20日[1] - 1965年(昭和40年)7月31日[1][2])は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・山本。
経歴
[編集]山口県[2]熊毛郡島田村[1](周南町、光町を経て現光市[1])で山本家に生まれ[3]、久芳安之進の養子となる[3]。1912年(明治45年)山口県師範学校を卒業した[1][2]。
その後、山口県視学、公立国民学校訓導、同校長、萩市青年団長、萩市女子青年団長、山口県青年学校教育会理事長、日本体育会山口県支部評議員、日本教育会山口県支部国民学校教育部会長、光市島田農業協同組合長などを務めた[1][2][3]。
1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山口県全県区から無所属で出馬して当選し[4]、衆議院議員に1期在任した[2]。
その後、山口県教育委員長、光市教育委員を務めた[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。