久能木慎治
表示
久能木 慎治(久能木 愼治[1][2]、くのき しんじ、1892年(明治25年)9月16日[1] - 没年不明[3])は、日本の弁護士[2][4][5]、弁理士[2]、久能木法律事務所主[1]、会社役員。関東興業監査役[2][5]。
人物
[編集]東京府人・久能木宇兵衛の二男[1]。久能木宇兵衛の弟[5]。鈴木信太郎、團伊能、山田珠樹らと共に構想し、1917年、『攻魂珠』が創刊される。東京高師附属中学、第一高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学仏法科卒業[1][5][6]。事務所を設立し[1]、開業する[5]。一般の法律事務に従事する[1]。趣味は乗馬、釣り[5]。宗教は浄土宗[5]。住所は東京日本橋室町[5]。
家族・親族
[編集]- 久能木家
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『帝国大学出身名鑑』ク6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本紳士録 第47版』東京キ、クの部152頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月5日閲覧。
- ^ 豊島与志雄の『猫先生の弁』(1951年初収録)において「故人」と記されている。
- ^ 『日本弁護士名簿 大正14年7月現在』82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第14版 上』ク9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月5日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』東京帝国大学、1913-1924年。
- 『日本弁護士名簿 大正14年7月現在』日本弁護士協会、1925年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 交詢社編『日本紳士録 第47版』交詢社、1944年。