久能山長五郎
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久能山 長五郎(くのうざん ちょうごろう、1908年7月25日[1][2] - 1956年2月26日[1][2][3])は、静岡県駿東郡長泉町出身[1][2]で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は下山 準一[2][注 1]。最高位は十両5枚目[1][2]。
経歴
[編集]元横綱鳳谷五郎の宮城野部屋に入門し、1922年1月に初土俵を踏む[2]。1934年1月「三嶌岳」の四股名で十両に昇進。翌5月では最高位の西十両5枚目まで上がったが、1勝10敗と大きく負け越し、幕下に落ちた。「久能山」と改名した後の1936年5月十両に復帰したが、5勝6敗と負け越し、再び幕下に落ちた。1939年1月に廃業[1][2]。若者頭となったが、1945年の終戦直後にメチルアルコールを飲んだため失明状態となり、相撲協会を離れた[3]。その後は故郷で按摩業に従事した[3]。1956年死去。
改名
[編集]三嶌浦→三嶌岳→久能山
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、171頁では本名は「下村準一」。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年