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久能山長五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久能山 長五郎(くのうざん ちょうごろう、1908年7月25日[1][2] - 1956年2月26日[1][2][3])は、静岡県駿東郡長泉町出身[1][2]宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は下山 準一[2][注 1]。最高位は十両5枚目[1][2]

経歴

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横綱鳳谷五郎の宮城野部屋に入門し、1922年1月に初土俵を踏む[2]1934年1月「三嶌岳」の四股名で十両に昇進。翌5月では最高位の西十両5枚目まで上がったが、1勝10敗と大きく負け越し、幕下に落ちた。「久能山」と改名した後の1936年5月十両に復帰したが、5勝6敗と負け越し、再び幕下に落ちた。1939年1月に廃業[1][2]若者頭となったが、1945年の終戦直後にメチルアルコールを飲んだため失明状態となり、相撲協会を離れた[3]。その後は故郷で按摩業に従事した[3]。1956年死去。

改名

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三嶌浦→三嶌岳→久能山

脚注

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注釈

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  1. ^ 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、171頁では本名は「下村準一」。

出典

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  1. ^ a b c d e 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、171頁。
  2. ^ a b c d e f g 『昭和の大相撲 資料編』 311頁。
  3. ^ a b c 相撲人名鑑(三嶌岳順平)(アーカイブ)

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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