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久米川町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 東村山市 > 久米川町
久米川町
梅岩寺本堂
梅岩寺本堂
久米川町の位置(多摩地域内)
久米川町
久米川町
久米川町の位置
北緯35度45分51.8秒 東経139度28分27.3秒 / 北緯35.764389度 東経139.474250度 / 35.764389; 139.474250
日本の旗 日本
都道府県 東京都
市町村 東村山市
面積
 • 合計 2.10 km2
人口
2019年(令和元年)7月31日現在)[2]
 • 合計 16,186人
 • 密度 7,700人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
189-0003[3]
市外局番 042(国分寺MA)[4]
ナンバープレート 多摩

久米川町(くめがわちょう)は、東京都東村山市町名。現行行政地名は久米川町一丁目から五丁目。郵便番号189-0003[3]

地理

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東村山市の北部に位置し、東は青葉町、西は諏訪町、南は本町恩多町、北は秋津町と、所沢市北秋津久米と接している。府中街道所沢街道、さくら通りなどの主要道路沿いに事業所や店舗、工場が立地し、その他は住宅地や耕作地である。町設置以前の大字は久米川(四丁目の一部は野口、五丁目の一部は南秋津)であり、町村制以前の旧村であった大字久米川の中心であった一帯である。今日市内で「久米川」と呼ばれる久米川駅が所在する栄町周辺とは距離があり、当町に「町」をつけて区別する。

地価

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住宅地の地価は、2019年平成31年)1月1日公示地価によれば、久米川町3丁目10番34の地点で18万2000円/m2となっている。

歴史

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7世紀半ばから8世紀(大化から大宝年間)になると武蔵国府中(府中市)に国府がおかれ、南北に貫いて上野国と武蔵国を結ぶ官道「東山道」が通じていた。鎌倉幕府が成立すると「いざ鎌倉」への道として各地の道路が整備され、地域を貫く道は鎌倉街道の中でも「上ツ道」として、久米川は宿駅として軍事的・経済的にも重視されたことが窺える[5]

1889年の東村山村成立時以後は大字久米川となり、1964年の市制施行時に現町域を久米川町とした。

地名の由来

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道興准后の「廻国雑記」(1486)に、現在の柳瀬川を 「くめくめ川」と呼んでいた記載があり、これが地名の由来 のようだ、としている[6]

世帯数と人口

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2019年(令和元年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
久米川町一丁目 1,575世帯 3,798人
久米川町二丁目 1,394世帯 3,585人
久米川町三丁目 1,446世帯 3,334人
久米川町四丁目 1,632世帯 3,423人
久米川町五丁目 917世帯 2,046人
6,964世帯 16,186人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
久米川町一丁目 50〜59番地 東村山市立秋津小学校 東村山市立東村山第二中学校
その他 東村山市立久米川東小学校
久米川町二丁目 全域
久米川町三丁目 30〜41番地
その他 東村山市立久米川小学校
久米川町四丁目 全域
久米川町五丁目 1〜16番地
17番地の1〜8
17番地の12〜33
25番地
東村山市立久米川東小学校
17番地の9〜11
18〜20番地
34番地の14〜15
東村山市立化成小学校
その他 東村山市立秋津小学校

交通

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施設

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 東村山市の統計・平成30年度版”. 東村山市 (2019年7月2日). 2019年8月23日閲覧。
  2. ^ a b 今月の町別・年齢別人口表”. 東村山市 (2019年8月1日). 2019年8月23日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月23日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年8月23日閲覧。
  5. ^ 東村山市の歴史-東村山市役所、2019年8月23日閲覧。
  6. ^ 久米川町の由来-東村山市役所、2019年8月23日閲覧。
  7. ^ 小・中学校通学区域”. 東村山市 (2013年8月15日). 2019年8月23日閲覧。

外部リンク

[編集]

東村山市役所