久米唯次
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久米 唯次(くめ ただじ、1843年11月24日(天保14年10月3日[1]) - 1915年(大正4年)4月25日[2])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]禎瑞新田(伊予国新居郡禎瑞村。愛媛県新居郡橘村を経て現西条市禎瑞)干拓以来の旧家[3]、久米弥吉[注 1]の長男として生まれる[1]。農業を営み[2]、1915年(大正4年)時点で直接国税2500円余を納めた[1]。
学務委員に就任し禎瑞小学校(現西条市立禎瑞小学校)の建設に多額の寄付を行った[3]。新居郡会議員などを務め[3]、1897年(明治30年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]に就任したが、大病のため[3]1898年(明治31年)6月7日[5]に辞職した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『愛媛県史 人物』208頁では久米伊勢蔵。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。