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久次米兵次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

九代 久次米 兵次郎(くじめ ひょうじろう、1829年6月12日文政12年5月11日) - 1913年大正2年)3月3日)は、日本銀行家商人(染織家)。阿波国名東郡新居村(現・徳島県徳島市不動北町)出身。幼名は国太郎。

経歴

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1829年(文政12年)に阿波藍商人である八代久次米兵次郎・義簡の子として生まれる。1869年明治2年)、40歳で家督を相続し九代久次米兵次郎を名乗る。

1879年(明治12年)に一族が築き上げてきた経済力を基に名東郡船場町(現徳島市西船場町)に日本で6番目の私立銀行である久次米銀行(後の阿波銀行)を設立。資本金は50万円で、当時は三井銀行に次いで第2位の規模であった。

久次米家は真言宗の檀徒であったが、1882年(明治15年)に、麻布区北日ヶ窪(現港区六本木)の土地を、曹洞宗宗立専門学校が購入するに際して、その購入資金をほぼ全額援助した[1]。同校は、「曹洞宗大学林」、「曹洞宗大学」と名称を変更し、没年の1913年大正2年)に、駒沢へ移転し、駒澤大学となった。

1887年(明治20年)に商社「久次米商会」を設立。

しかし1890年(明治23年)に金融恐慌の影響もあり久次米銀行は破綻。1898年(明治31年)に九次米銀行は事実上消滅した。その後、九次米銀行の関西部門を継承した合名会社・阿波銀行が負債を決済、阿波商業銀行(現阿波銀行)として再生する。

栄典

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脚註

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  1. ^ 『駒澤大学百年史上巻』(駒澤大学、1983年)86頁。
  2. ^ 『官報』第1278号「叙任及辞令」1887年9月30日。
  3. ^ 『官報』第1278号「彙報 - 褒章」1887年9月30日。

参考文献

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  • 高嶋雅明「久次米銀行の分析―木材問屋の銀行経営―」
  • 真貝宣光「阿波藍商の経営展開とその崩壊―久次米兵次郎家の場合―」(徳島地方史研究会編『阿波・歴史と民衆II』)

外部リンク

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