久我浩二
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久我 浩二(くが こうじ、1965年8月23日)はシューズデザイナーである。東京都中野区出身。既婚。
人物
[編集]この頃から、靴専門店にて販売のアルバイトをきっかけに靴業界に入る。 大学在学中 (1984年) ㈱バザラインターナショナル設立と同時に企画を始める。『Bazara moda』企画、デザインを担当。
- 1988年 前衛的なイメージを大胆に表現した『Vecchia-volpe』を発表し、西武、丸井などで商品を展開する。
- 1992年 ㈱ サントロペに 移籍。ブランド 『SEVEN TWELVE THIRTY』 をプロデュースする。
- 1993年 ブランド『バ−コード』を発表し、NIKEなどの靴ブームと共に全国の若者の指示をうける。
- 1994年 新宿伊勢丹の解放区に靴のデザイナーとして参加。
- 1997年1月6日 独立をし株式会社イーボルを三原康裕と設立する。その後三原は独立。
- 1997年3月 1号店として、ラフォーレ原宿2階に直営店『KOJI KUGA』OPEN
ブランド『KOJI KUGA』にて厚底ブームの火付け役となる。 婦人靴卸、企画・製造・販売、OEM を多数行っている (2010年現在)
代表作
[編集]『シャークソール シューズ』 足を踏み込むときの衝撃を吸収するソールの靴。
女性社会問題に対し、厚底ブーツを発表。
『ほたる』ソールに蛍光塗料がついており、暗闇で「光る」仕掛けになっている。クラブシーンにて人気を集める。
ほたるシリーズにはアパレルもあり、SS collectionを西麻布を代表するクラブ、「Space Lab YELLOW(スペース・ラボ・イエロー、以下イエロー)」(港区西麻布1)にて発表。