久保田晴光
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くぼた せいこう 久保田 晴光 | |
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生誕 | 1884年 |
死没 | 不明 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都帝国大学 |
職業 | 医学者 |
著名な実績 |
日本スケート連盟会長 満洲医科大学学長 |
久保田 晴光(くぼた せいこう、1884年(明治17年) - ?)は、日本の医学者。元日本スケート連盟会長。元満洲医科大学学長[1]。
生涯
[編集]1910年(明治43年)、京都帝国大学を卒業。大学を卒業後は外科医となるがヨードアレルギーであることが判明し外科医を断念。1911年(明治44年)7月、第一生理学に入室し天谷千松教授の下につく[2]。
1913年(大正2年)4月、南満医学堂(後の満洲医科大学)の教授に就任。その後、南満洲鉄道の派遣による欧米留学を経て、1921年(大正10年)10月に満洲医科大学の学長に就任[2]。しかし、1923年(大正12年)11月に病気を理由に退職。在職中は蒙古巡回診療班と専門部の開設に当たった他、東亜医学研究所と附属薬学専門部の設置に尽力した[2]。また1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)までは日本スケート連盟の会長を務めた。
著書
[編集]脚注
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