久世夏子
表示
久世 夏子(くぜ なつこ、? - 1734年8月3日(享保19年7月5日))は、中御門天皇の典侍。父は権大納言の久世通夏[1]。源夏子とも呼ばれる。源内侍と称した。法号は妙色院。
権大納言の久世通夏として生まれる。1720年(享保5年)に中御門天皇の掌侍に任じられ、源内侍と称された[2]。天皇との間に1皇子(信宮)と3皇女(三宮・成子内親王・永皎女王)らを儲けた[2]。
1734年8月3日(享保19年7月5日)、死去。従三位を追贈された。法号は妙色院[2]。
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |