乃木高行
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乃木 高行 (のぎ たかゆき、弘化元年(1844年) - 明治40年(1907年)) は、明治時代の日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。位階勲等は正六位勲五等。
経歴
[編集]現在の山口県出身。
陸軍大将乃木希典の父親乃木希次の兄にあたる乃木高蔵有伸(長州藩士、御手廻組藩医)の養子 乃木高正の養子となる[1]。
維新後に海軍軍人となった。
明治8年(1875年)の時点で海軍中尉、明治16年(1883年)の時点で海軍大尉であった[2]。
明治18年(1885年)、海軍大尉の階級で練習艦「館山」の船長を務めた。
明治22年(1889年)5月15日、海軍少佐の階級で佐世保鎮守府海兵団副長に任じられた。
明治40年(1907年)7月17日、死去。正六位を追贈された。
逸話等
[編集]乃木希典とは親戚関係にあることから親交があった。乃木希典日記・明治八年七月十四日条には、「玉木ト同敷赤坂ノ乃木二入ル高行在宅」とある[3]。
高行の養子の乃木甲造は乃木神社函館分社の社号標を揮毫した。
脚注
[編集]- ^ 乃木希典の乃木家が長府藩士の家であるのに対して、高行の乃木家は長州藩士(萩藩士)の家であった。俸禄は長府の乃木家が80石、萩の乃木家が250石であった。また、長府乃木家も萩乃木家も侍医(藩主に仕える武士身分の医者)の家柄であったが、長府乃木家の方は希次の代で藩医ではなく、御馬廻組に編入された。
- ^ “The Naval Data Base 人名辞典 「の」の部”. 2020年10月10日閲覧。
- ^ 中山光勝. “乃木希典日記ー明治八年ー(1)”. 資料紹介: 55ページ 上段.