丹羽氏興
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天文5年(1536年)2月23日 |
別名 | 平左衛門、平左衛門尉、平三郎 |
戒名 | 性菴道見 |
主君 | 織田信定 |
氏族 | 丹羽氏 |
父母 | 父:丹羽氏員 |
兄弟 | 氏清、右京進 |
子 | 平三郎氏重[1] 兵藤新五左衛門座敷室[2]、丹羽氏清(一部系図によると実弟) |
丹羽 氏興(にわ うじおき、生年不詳 - 天文5年2月23日(1536年3月15日)[3])は、戦国時代の武将。丹羽氏員の嫡子で二代本郷城主。永正8年(1511年)父の領地を継ぐ。通称は平左衛門、平三郎。父新介氏員は、織田敏定のち織田信定に属し、本郷城に住みだす。子に丹羽氏清。弟に右京進がおり、藤島に分家して藤島城を築城した。その息子に本家と勢力争いをした氏秀がいる。