丹保三郎
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丹 保三郎(たん やすさぶろう、1925年8月23日 - 2015年9月10日)は、日本の整形外科医。
北海道赤平市においてポリオが流行していた1961年に、治療に当たっていた丹が中心となって重度心身障害児者の会「赤平父母の会」(後に赤平くるみ会)を創設し、以後50年以上に渡り中心的な人物として活動を続けた[1]。
略歴
[編集]陸軍士官学校(58期)および日本医科大学を卒業し、整形外科医となる。
1958年(昭和33年)3月より赤平市立病院に勤務後、1963年6月に丹整形外科を開業した。
整形外科一般に加え、ポリオ、脳性麻痺児の治療に生涯従事する。
著作
[編集]- 論文『脊椎茎状突起の研究』(1959年)[2]
- 『赤平肢体不自由児の療育指針 : まひ児と親と訓練士のために』(丹整形外科医院、1966年)
- 『赤ちゃんの整形外科 : 赤平の若い母親と考える』(1979年)
- 『凡医のつぶやき』(1981年)
- 『虹の航跡』(丹整形外科医院、1984年)
- 『嫁ぎ行くまで』(丹整形外科医院、1986年)
出典・脚注
[編集]- ^ “道肢連協会報361号 2016年4月5月” (PDF). 北海道肢体不自由児者福祉連合協会. 2016年8月2日閲覧。
- ^ NAID 500000466984
参考書籍
[編集]- 赤平市編纂委員会(編)、2001、「第九編 文化・体育, 第二章 戦後復興と文化活動の興隆, 第七節 赤平ゆかりの人々(文化)」、『赤平市史』上、赤平市