丸部人主
丸部 人主(わにべ の ひとぬし、生没年不詳)は、奈良時代の人物。経師・画師・舎人。姓は臣。氏は丸子[1]・和爾部[2]とも記される。官位は左大舎人・大初八位下。
出自
[編集]丸部氏は『新撰姓氏録』「左京皇別」によると和安部氏と同祖で、「彦姥津命男伊富都久命之後也」となっている。中央では経師・画師などの雑任に見られるが、諸国に分布しており、尾張国智多郡、参河国額田郡、伊豆国那賀郡、甲斐国巨麻郡、近江国坂田郡、美濃国安八郡・肩県郡・山方郡、越前国足羽郡・坂井郡、加賀国加賀郡、但馬国気多郡、因幡国法美郡、出雲国神門郡、播磨国讃容郡・宍粟郡、備前国都宇郡、讃岐国大内郡などに見える。
経歴
[編集]孝謙朝の天平勝宝4年(752年)閏3月、東大寺第六厨子成実宗の彩色に従っているのが史料における初出[3]。天平宝字2年(758年)6月、中島写経所の写手・大初位下・左大舎人と見え[4]、写経に従い、筆墨直を充てられ[5]、写御書所の書生で、東大寺写一切経所に服仕し、左大舎人・大初位下とある[6]。
7月、千手経・金剛般若経の書写に従い[7]、淳仁朝になって同年9月、三尾隅足によって書生として貢進され、この時、左大舎人・大初位上と記されており[8]、御書所より東寺写経所に経師として請われ、大初位下とあり[9]、金剛般若経を写し、筆墨等を充てられ[10]、10月、東寺写経所より左大舎人寮に、写経のため考唱不参の旨を「移」され、この時も大初位下と見える[11]。同じく御書所にもその旨を「牒」され、この時は右大舎人とある[12]。また、同月、経師として被を充てられた[13]。11月、東寺写経所に服仕し、布施米を給せられた。時に左大舎人、大初位下とある[14]。このころに、経師として筆を返上した[15]。
同4年(760年)10月、造法花寺作金堂所の領、一等として絁1匹3丈、綿3屯を給せられ[16]、同5年(761年)正月、駈使夫と見える丸部も同一人物と推定され[17]、2月、西院政所の領として東大寺より来た銭30貫を検納し[18]、8月、借銭5貫文を借りている[19]。同6年(762年)正月、造石山院所より召され[20]、閏12月、大般若経を写し、筆墨等を充てられた[21]。同7年(763年)3月、御書所より東大寺写経所へ服仕し、写経所での上日(出仕日)があり、大初位下と見え[22]、4月、東寺奉写大般若経所に上日し、時に竪子左人舎人、姓は臣と記されている[23]。4月・6月も同じく、左大舎人・大初位下とある[24]。同月、金剛般若経を写し[25]、5月には写経の筆直を充てられ[26]、この年、仁王経疏師として布勢綿20屯を充てられ[27]、また雑使として綿5屯を給せられている[28]。
称徳朝の神護景雲元年(767年)、阿弥陀悔過知識銭5文を進めている[29]。
その手実(個人が実情を申告した文書)については、
に現れている。
官歴
[編集]『大日本古文書』による
- 天平宝字2年(758年)6月:見中島写経所写手・左大舎人・大初位下・写御書所の書生・東大寺写一切経所服仕。9月:書生として貢進・見左大舎人・大初位上。10月:見大初位下・右大舎人。11月:東寺写経所服仕。見左大舎人、大初位下
- 天平宝字7年(763年)3月:御書所より東大寺写経所へ服仕、見大初位下。4月:見竪子左人舎人、臣姓。4月および6月:見左大舎人・大初位下
脚注
[編集]- ^ 『大日本古文書』巻四 - 508頁、巻十五 - 99頁、巻十六 - 313頁
- ^ 『大日本古文書』巻十三 - 335頁
- ^ 『大日本古文書』巻十二 - 245頁
- ^ 『大日本古文書』巻十三 - 236頁
- ^ 『大日本古文書』巻十三 - 239頁・325頁
- ^ 『大日本古文書』巻十三 - 336頁
- ^ 『大日本古文書』巻十三 - 261頁・407頁・450頁・465頁
- ^ 『大日本古文書』巻四 - 314頁
- ^ 『大日本古文書』巻四 - 319頁、巻十三 - 335頁、巻十四 - 174頁
- ^ 『大日本古文書』巻十四 - 67頁・116頁・123頁・138頁・162頁・165頁
- ^ 『大日本古文書』巻十四 - 189頁
- ^ 『大日本古文書』巻十四 - 190頁
- ^ 『大日本古文書』巻十四 - 262頁
- ^ 『大日本古文書』巻十四 - 228頁
- ^ 『大日本古文書』巻十三 - 240頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 313頁
- ^ 『大日本古文書』巻十五 - 59頁
- ^ 『大日本古文書』巻十五 - 99頁
- ^ 『大日本古文書』巻四 - 508頁
- ^ 『大日本古文書』巻十五 - 142頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 146頁・165頁・167頁・170頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 328頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 327頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 330頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 368頁
- ^ 『大日本古文書』巻五 - 415頁・417頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 429頁
- ^ 『大日本古文書』巻十六 - 431頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 113頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 521頁・540頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 443頁・573頁・613頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 433頁・580頁・599頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 584頁