丸山環
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丸山 環(まるやま たまき、1873年(明治6年)8月8日[1] - 1952年(昭和27年)11月20日[2])は、日本の教育者、文部官僚。
経歴
[編集]滋賀県伊香郡北富永村(現在の長浜市)出身[3]。1900年(明治33年)、東京帝国大学文科大学独文科を卒業[1]。第六高等学校教授、第八高等学校教授を経て、1913年(大正2年)、文部省督学官となった[1]。第六高等学校校長を務めた後、1924年(大正13年)から甲南高等学校(現在の甲南大学)校長兼教授となった[4]。その後さらに九段精華高等女学校校長を務めた[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c 人事興信録 第5版 1918.
- ^ 『1954年 朝日年鑑』、朝日新聞社、1953年。
- ^ 近江人要覧 1934.
- ^ 大衆人事録 第3版 1930.
- ^ 大衆人事録 第14版 1943.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 近江人協会編『近江人要覧』近江人協会、1934年。
その他の役職 | ||
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先代 小森慶助 |
甲南中学校長 1924年 - 1927年 |
次代 (廃止) |