丸山弘志
丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年〈大正13年〉7月15日 - 2007年〈平成19年〉10月10日)は、日本の運輸技官、超電導リニア研究者、鉄道技術者、鉄道工学者、交通工学者、機械工学者、精密工学者、安全工学者、生産工学者。工学博士。第21代日本国有鉄道鉄道技術研究所所長、元東京理科大学理工学部学部長、元科学技術庁参与、元文部科学省参与、元研友社顧問、元材料技術研究協会理事、元日本規格協会評議員。日本機械学会名誉員、東京理科大学名誉教授。
略歴
[編集]埼玉県出身。1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東京帝国大学第一工学部精密加工学科を卒業、運輸省鉄道技術研究所に入所。
電車などの高速化、安全性、信頼性を高める上で精密工学の導入を図り[1]、1965年(昭和40年)に新幹線用在姿車輪研削盤の開発で日本機械学会賞を受賞[2]、1971年(昭和46年)に電子式乗車券印刷発行機の開発で日本機械学会賞を受賞[2]。
1970年(昭和45年)に日本国有鉄道鉄道技術研究所機械設備研究室室長に就任[3]、1974年(昭和49年)に日本国有鉄道鉄道技術研究所副所長に就任[3]。
1977年(昭和52年)に日本国有鉄道鉄道技術研究所所長に就任[3]、超電導リニア(超電導磁気浮上式鉄道)研究の班長となり、1979年(昭和54年)12月21日に宮崎実験線にて無人実験車両ML500で世界最高速度517km/hを達成[1][4][5][6]。
1980年(昭和55年)に東京理科大学理工学部機械工学科教授に就任[3]、1984年(昭和59年)に東京理科大学理工学部学部長に就任[3][注 1]、1987年(昭和62年)に学校法人東京理科大学評議員に就任[3]。
1995年(平成7年)に東京理科大学専任教授を退任[7]、嘱託教授に就任、2000年(平成12年)に東京理科大学を退職[8]。
2002年(平成14年)に日本機械工業連合会から創立50周年記念の特別功労者表彰を受彰[9]、2006年(平成18年)に東京理科大学から東京理科大学名誉教授の称号を受称[7]。
日本の機械の安全規格の国際的標準化や、新幹線などの高速・大量輸送システムの安全規格の作成などに、指導的な役割を果たした[7]。
栄典・表彰
[編集]- 1965年(昭和40年) 4月 - 第7回(昭和39年度)日本機械学会賞[2]
- 1971年(昭和46年) 4月 - 第13回(昭和45年度)日本機械学会賞[2]
- 1972年(昭和47年)11月 - 第7回(昭和47年度)機械振興協会賞[10][11]
- 1982年(昭和57年) 3月 - 第7回(昭和56年度)交通協力会交通図書賞(編著書『鉄道工学』)[12][13]
- 1983年(昭和58年)10月 - 工業標準化功労者(通商産業大臣表彰)[14]
- 1990年(平成 2年) 4月 - 藍綬褒章[15]
- 1998年(平成10年)10月 - 第41回(平成10年度)日本規格協会標準化文献賞奨励賞(編著書『機械安全の国際規格とCEマーキング』)[16]
- 2002年(平成14年) 4月 - 特別功労者(日本機械工業連合会表彰)[9]
- 2003年(平成15年) 4月 - 勲三等瑞宝章[17]
- 2007年(平成19年)10月 - 正四位(死後追贈)[18]
親族
[編集]- 丸山武治 - 父、鉄道官僚、元帝都高速度交通営団理事[注 2]。1923年(大正12年)3月東京帝国大学経済学部経済学科卒業。
- 桑名義廣 - 伯父、母の兄、眼科医、桑名病院初代院長[注 3]。1919年(大正8年)5月新潟医学専門学校卒業。茨城県出身。
- 桑名昭治 - 弟、旧姓:丸山、医師、桑名病院2代目院長、第8代日本医療法人協会会長、元日本病院会理事。1943年(昭和18年)新潟中学校卒業[注 4]、1945年(昭和20年)海軍兵学校卒業、1952年(昭和27年)慶應義塾大学医学部卒業。
- 藤田みどり - 妹、旧姓:丸山、声楽家、元東京音楽大学講師、元武蔵野音楽大学講師[注 5]。1956年(昭和31年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。
著作物
[編集]著書
[編集]- 『新制 切削作業法』伊藤鎮[共著]、オーム社、1955年。
- 『JISにもとづく 研削トイシの選び方使い方』伊藤鎮・佐藤久弥[共著]、技術社、1961年。
- 『鉄道の科学 旅が楽しくなる本』講談社〈ブルーバックス B431〉、1980年。
編著書
[編集]- 『電気・電子技術者のための 鉄道工学』片岡軌夫[共編著]、丸善、1981年。
- 『機械技術者のための 鉄道工学』景山允男[共編著]、丸善、1981年。
- 『土木技術者のための 鉄道工学』深澤義朗[共編著]、丸善、1981年。
- 『機械安全の国際規格とCEマーキング 重要規則と規格の世界的動向』日本規格協会、1998年。
編書
[編集]- 『工具の選び方・使い方』日本規格協会〈JIS使い方シリーズ〉、1980年。
- 『工具の選び方・使い方』新版、日本規格協会〈JIS使い方シリーズ〉、1989年。
監修映像
[編集]- 『EC指令とCEマーキング 1: EC指令と製品安全規制』日本経済新聞社〈日経VIDEO〉、1994年。
- 『製品安全のすべて 1: なぜ製品安全が重要なのか』日本経済新聞社〈日経VIDEO〉、1995年。
- 『EC指令とCEマーキング 1: EC指令と製品安全規制』日本経済新聞社〈日経VIDEO〉、2006年。
- 『製品安全のすべて 1: なぜ製品安全が重要なのか』日本経済新聞社〈日経VIDEO〉、2006年。
論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1988年(昭和63年)に退任[3]。
- ^ 丸山武治は転勤族で、外国に行ったりしたとき、家族は新潟県中蒲原郡新津町で眼科医院を開業していた伯父の桑名義廣の所に滞在した[19]。
- ^ 桑名義廣は医師になった甥の桑名昭治を養子にして1953年(昭和28年)8月23日に桑名病院を開設した[20]。
- ^ 桑名昭治は1943年(昭和18年)11月に新潟中学校を卒業すると、伯父の桑名義廣から海軍兵学校に入校する前に雲洞庵で修養するよう命じられ、11月半ばの4日間、雲洞庵住職の新井石龍のもとで山菜を食べたり薪で沸かした風呂に入ったりして過ごした[21]。
- ^ 藤田みどりは1975年(昭和50年)8月31日に日本基督教団今治教会で牧師の榎本保郎が訣別説教をしたあとに讃美歌を独唱した[22]。
出典
[編集]- ^ a b 『鉄道の科学―旅が楽しくなる本 (ブルーバックス)』著者について | Amazon
- ^ a b c d 日本機械学会賞 受賞論文および製品 (PDF) - 日本機械学会
- ^ a b c d e f g 『RRR: Railway Research Review』1990年10月号、6頁。
- ^ 超電導リニア開発の歴史 | 研究開発 | 公益財団法人 鉄道総合技術研究所
- ^ リニアの歴史 | 山梨県立リニア見学センター
- ^ 鉄道主要年表 (PDF) - 国土交通省
- ^ a b c 『東京理科大学報』第160号、2面。『東京理科大学理工学部機械工学科ニュースレター』第2号、3面。
- ^ 『第四十三版 人事興信錄 下』ま161頁。
- ^ a b ニュース・お知らせ: 〜2006年: 明治大学 理工学部 情報科学科 / 大学院 理工学研究科 基礎理工学専攻 情報科学系
- ^ 機械振興協会賞|新機械振興賞|一般財団法人 機械振興協会 技術研究所
- ^ 『機械振興』第5巻第10号、60頁。『機械振興』第5巻第12号、97頁。
- ^ 交通図書賞 年度別受賞図書名 (PDF) - 公益財団法人 交通協力会
- ^ 『国有鉄道』第40巻第4号、31頁。
- ^ 『標準化ジャーナル』第13巻第11号、6頁。
- ^ 「褒賞」『官報』号外第47号、14頁、大蔵省印刷局、1990年5月1日。
- ^ 『標準化ジャーナル』第28巻第12号、19-20頁。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第95号、50頁、国立印刷局、2003年4月30日。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第4709号、10頁、国立印刷局、2007年11月14日。
- ^ 『雲洞庵の石龍禅師さま その人と書』142頁。
- ^ 『雲洞庵の石龍禅師さま その人と書』144頁。
- ^ 『雲洞庵の石龍禅師さま その人と書』142-143頁。
- ^ 『ちいろば先生物語』376頁。
参考文献
[編集]- 「丸山弘志」『第四十三版 人事興信錄 下』ま161頁、興信データ[編]、興信データ、2005年。
- 『鉄道の科学 旅が楽しくなる本』丸山弘志[著]、講談社〈ブルーバックス B431〉、1980年。
- 「工業標準化の進展と共に歩んで」『RRR: Railway Research Review』1990年10月号、6-8頁、丸山弘志[著]、鉄道総合技術研究所[編]、研友社、1990年。
- 「岡村前学長と4先生に名誉教授称号授与 (PDF) 」『東京理科大学報』第160号、2面、東京理科大学学報編集委員会[編]、東京理科大学、2006年。
- 「機械工学科3教授へ名誉教授の称号授与 (PDF) 」『東京理科大学理工学部機械工学科ニュースレター』第2号、3面、早瀬仁則[編]、東京理科大学理工学部機械工学科、2006年。
- 『機械振興』第5巻第10号、機械振興協会、1972年。
- 『機械振興』第5巻第12号、機械振興協会、1972年。
- 『国有鉄道』第40巻第4号、交通協力会、1982年。
- 『標準化ジャーナル』第13巻第11号、日本規格協会、1983年。
- 『標準化ジャーナル』第28巻第12号、日本規格協会、1998年。
- 『雲洞庵の石龍禅師さま その人と書』新井勝龍[著]、「雲洞庵の石龍禅師さま」編集委員会[編]、考古堂書店、1994年。
- 『ちいろば先生物語』三浦綾子[著]、朝日新聞社、1987年。
関連文献
[編集]- 「浮上式鉄道の開発」『精密機械』第45巻第11号、1281-1285頁、丸山弘志[著]、精機学会、1979年。
- 「磁気浮上鉄道と車輪・レール鉄道」『精密機械』第51巻第1号、73-78頁、丸山弘志[著]、精機学会、1985年。