丸山和歌子
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丸山 和歌子 (まるやま わかこ、1905年(明治41年)[注釈 1] - 1945年 (昭和20年))は、戦前に活動した日本の女性歌手。
ステージからレコードで活動し、その分野では珍しく広い音域(特に高音のソプラノ)を持つ歌手だった[1]。
経歴
[編集]東京・神田で幼稚園を営む家に生まれる[1]。女子学院を経て、東洋音楽学校[注釈 2]本科声楽部を卒業した[1]。
卒業後は、姉とともに実家の幼稚園経営を引き継いだ[1]。1931年に浅草の金龍館で歌手デビューし、同年にはレコードもリリースされた[1]。ステージに立つと「ワカちゃーん」というかけ声が上がったという[1]。
1937年(昭和12年)にレコード歌手を引退した後はステージでの歌手活動を続け、戦争中は慰問活動で歌声を披露した[1]。
毛利眞人が遺族の証言として記しているところでは、1945年に空襲により死亡した[1]。
死去から74年が経過した2019年に、23曲の歌唱を収めたコンパクトディスク『泣いちゃいけない 丸山和歌子の部屋 1931-1936』がリリースされた[1][2]。