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丸山名政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

丸山 名政[1](まるやま なまさ、1857年11月11日安政4年9月25日[2] - 1922年大正11年)11月21日[3])は、日本の政治家(衆議院議員)、実業家。族籍は東京府士族[2]

経歴

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信州須坂藩士・丸山本政の長男[2]1874年(明治7年)に上京[1]。講法学舎を経て、明治法律学校(現・明治大学)に入学[4]内務省地理局勤務を経て、自由民権運動に入り、嚶鳴社員として立憲改進党結成に参画。東京横浜毎日新聞記者、下野新聞主筆などを務めた後、1885年(明治18年)に代言人となる。

国会開設後は、第2回第8回衆議院議員総選挙に当選[3]。その他、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員も務め[3]1899年(明治32年)に明治法律学校校友となる[4]

実業家として、日本証券社長、松本瓦斯取締役、東京土地監査役[5] など多くの会社の経営に参画。1903年(明治36年)から1905年(明治38年)には東京市助役も務めた。

1921年(大正10年)、東京市政疑獄(砂利疑獄)で公判に付されるが、病のため審理中止となった[6]

家族・親族

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丸山家

脚注

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  1. ^ a b 『日本現今人名辞典』ま12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』ま23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月20日閲覧。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』612頁。
  4. ^ a b 『明治大学小史―人物編』 28-29頁
  5. ^ 『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京府112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月21日閲覧。
  6. ^ 1922年3月31日付大阪時事新報(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)

参考文献

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  • 『憲法論』尚成堂、1889年。
  • 『第三議会に於ける丸山名政君の演説』伊東定吉、1892年。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第23版』東京興信所、1919年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 明治大学史資料センター 『明治大学小史―人物編』 学文社、2011年。 ISBN 978-4-7620-2217-3