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丸屋 九兵衛(まるや くへえ、? - 天明8年1月23日(1788年2月29日))は、江戸時代中期の一揆指導者[1]。
山城伏見京町北7丁目の町年寄[2]。
天明5年(1785年)伏見奉行の小堀政方の苛政に反対し、文珠九助らと共に江戸の寺社奉行へ越訴した(伏見町民一揆)[1]。結果政方は職を免じられたが、九兵衛は吟味中に病死する[1]。死後、2人は無罪となった[1]。