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丸吉呉服店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸吉呉服店[1]

中津ショッピングデパート[1]
店舗概要
所在地 中津市新博多町1757[1]
開業日 1684年貞享元年)[1]
土地所有者 株式会社丸吉[1]
施設所有者 株式会社丸吉[1]
敷地面積 1,586 m²[1]
延床面積 1,862 m²[1] 
商業施設面積 1,450 m²[1]
後身 丸吉百貨店[2]
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丸吉百貨店[2]

ニチイ中津店[3]

中津サティ[3]
店舗概要
所在地 中津市大字島田字手渡232番地[4]
開業日 1977年(昭和52年)4月14日[5]
建物名称 中津大交ビル本館[4]
土地所有者 大分交通[4]
施設所有者 大分交通[4]
延床面積 店舗棟 14,751.46m2[4]
駐車場棟 7,153.47 m²[4]
商業施設面積 8,470 m²[6]
駐車台数 400[4]
最寄駅 中津駅[5]
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歴史・概要

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1684年貞享元年)に中津藩の御用商人として呉服小売業を創業したのが始まりである[7]

1911年(明治44年)7月23日大分県下野郡中津町1757番地で[8](3代目)阿部吉助が[7]出資金2万円で合資会社丸吉呉服店を設立して法人化し[9]、叔母婿の賀来雅治を代表社員として店の経営を委ねた[10]

法人化したのを機に近代的で積極的な経営策を採って中津の目抜き通りの新博多町の店は中津名物と云われるほどとなり[11]、同地ではトップクラスの呉服店となった[10]

1969年(昭和44年)1月7日に株式会社丸吉を設立して改組し[7]1973年(昭和48年)6月26日ニチイグループ入りして株式会社中津ショッピングデパートを設立して株式会社丸吉は不動産管理会社となった[1]

1976年(昭和51年)5月に株式会社丸吉百貨店に商号を変更し[2]1977年(昭和52年)4月14日に中津駅南口の耶馬渓鉄道跡に大分交通が建設した「中津大交ビル」に「丸吉百貨店」として[5]総合スーパーを開店した[2]

1981年(昭和56年)10月1日[12]株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[13]を吸収合併してて株式会社アライド九州となった[14]1984年(昭和59年)3月に株式会社九州ニチイに商号を変更したため[14]ニチイ中津店となり、1993年(平成5年)3月18日に中津サティへ業態転換した[3]

しかし、2000年平成12年)8月20日に中津サティが閉店となり[15]、店舗の入居していた中津大交ビルは2004年(平成16年)に解体されて駐車場となった[16]

そして、大分交通が8,413m2の敷地に鉄骨2階建て延べ床面積4,063m2の建物を建設して2012年(平成24年)3月にサンレーが経営する結婚式場VILLA LUCE(ヴィラ・ルーチェ)として開業することになった[16]

年表

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  • 1684年貞享元年) - 中津藩の御用商人として呉服小売業を創業[7]
  • 1911年(明治44年)7月23日[8] - 大分県下野郡中津町1757番地で[8](3代目)阿部吉助が[7]出資金2万円で合資会社丸吉呉服店を設立して法人化[9]
  • 1969年(昭和44年)1月7日 - 株式会社丸吉を設立して改組[7]
  • 1973年(昭和48年)6月26日 - ニチイグループ入りして株式会社中津ショッピングデパートを設立して株式会社丸吉は不動産管理会社となる[1]
  • 1976年(昭和51年)5月 - 株式会社丸吉百貨店に商号を変更[2]
  • 1977年(昭和52年)4月14日 - 中津駅南口の耶馬渓鉄道跡に大分交通が建設した「中津大交ビル」に「丸吉百貨店」として[5]総合スーパーを開店[2]
  • 1981年(昭和56年)10月1日[12] - 株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[13]を吸収合併して株式会社アライド九州に商号を変更[14]
  • 1984年(昭和59年)3月 - 株式会社九州ニチイに商号を変更して[14]ニチイ中津店に店名を変更[3]
  • 1993年(平成5年)3月18日 - 中津サティへ業態転換[3]
  • 2000年平成12年)8月20日 - 中津サティが閉店[15]
  • 2004年(平成16年) - 店舗の入居していた中津大交ビルが解体されて駐車場となる[16]
  • 2012年(平成24年)3月 - 跡地にサンレーが経営する結婚式場VILLA LUCE(ヴィラ・ルーチェ)が開業[16]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『全国繊維企業要覧 昭和51年版 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1975年9月1日。pp1506
  2. ^ a b c d e f 『全国繊維企業要覧 昭和54年版 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1978年9月20日。pp1710
  3. ^ a b c d e “ニチイ中津店をリニューアル、生活百貨店「中津サティ」で18日に開店、対面で食品充実”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年3月19日). pp4
  4. ^ a b c d e f g 『大分交通40年のあゆみ 前身会社より通算89周年』 大分交通、1985年4月20日。 pp206
  5. ^ a b c d 『大分交通40年のあゆみ 前身会社より通算89周年』 大分交通、1985年4月20日。 pp119
  6. ^ 『全国取材 大型店対策を現地に探る』 誠文堂新光社、1978年9月22日。 pp418
  7. ^ a b c d e f 『全国繊維企業要覧 昭和49年版 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1973年9月1日。pp1836
  8. ^ a b c “商業登記”. 官報 第8444号 (大蔵省印刷局) (1911年8月14日).pp37
  9. ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 下巻』 信用交換所大阪本社、1965年2月20日。pp942
  10. ^ a b 『織物要鑑』 東京信用交換所大阪支所、1918年7月1日。pp640
  11. ^ 『日本都市大観 昭和11年版』 大阪毎日新聞社、1936年2月20日。pp681
  12. ^ a b 『繊維年鑑 昭和58年版』 日本繊維新聞社、1983年1月10日。pp49
  13. ^ a b 佐藤一段 『ビッグストアどこが強くてどこが弱いか 大型店出店規制で新段階に突入した流通支配戦争』 日本実業出版社、1982年1月10日。 pp127
  14. ^ a b c d 『全国繊維企業要覧 1990 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1989年9月20日。pp2100
  15. ^ a b “経済日誌”. おおいたの経済と経営 1999年10月号 (大銀経済経営研究所) (2000年2月25日).pp24
  16. ^ a b c d “中津駅前に結婚式場 大分交通が建設”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社). (2011年7月13日)