中院通敏
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時代 | 南北朝時代 - 室町時代初期 |
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生誕 | 不明[1] |
死没 | 不明 |
改名 | 通清→通敏→正綱(法名) |
官位 | 正四位下参議、右中将 |
主君 | 後円融天皇→後小松天皇 |
氏族 | 中院家 |
父母 | 父:中院通冬 |
兄弟 | 通氏、通敏 |
子 | 房通、中院通淳室[2] |
中院 通敏(なかのいん みちとし)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿。官位は正四位下・参議、右中将。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
永徳元年(1381年)7月23日、参議に任ぜられる。この時、従四位上、右中将。永徳2年(1382年)8月14日、参議を辞した。至徳2年(1385年) 正四位下に昇叙か。康応元年(1389年) 名を通敏と改める。応永2年(1395年)7月6日、兄・通氏が権大納言在任のまま薨去。応永18年(1410年)出家か[3]。法名は正綱。