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中院局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中院局(なかのいんのつぼね、文禄元年(1592年) - 寛文12年6月27日1672年7月21日))は、江戸時代前期の女官

中院通勝の娘で後陽成天皇に仕えていたが、慶長14年(1609年)に烏丸光広との密通が露見したため(猪熊事件)、伊豆新島に流された。本名は中院仲子

概要

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中院局は文禄元年(1592年)に生まれ、日野資茂の猶子となり、権典侍として宮中へ出仕し、後陽成天皇に仕えていた。しかし、慶長14年(1609年)に烏丸光広との密通が露見し(猪熊事件)、伊豆の新島に流された。兄の中院通村武家伝奏として度々江戸に下っていたが、江戸に滞在していたある時に仲子のことを思い「ひく人の あらでや終に あら磯の 波に朽ちなん 海女のすて舟」という歌を詠んだという。

元和9年(1623年)9月に赦免され帰京が許されたが、伊豆からは侍女1人と共に徒歩で帰京することとなり、さらに侍女は道中で没したという。帰京後の寛永18年(1641年11月3日宝慈院に入寺して同日得度、蘭渓周芳を名乗り、寛文12年(1672年)6月27日に80歳で亡くなった[1][注釈 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『中院家略系図』では、細川幽斎養女を母とする宝慈院住持周芳と、後陽成院源内侍(ママ)で伊豆国に配流された女子は別人として記されている。

出典

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参考文献

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