中野猪之助
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中野 猪之助(なかの いのすけ、1872年7月21日(明治5年6月16日[1])- 1938年(昭和13年)1月18日[2])は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]大分県[2]日田郡、のちの三芳村[3](現日田市下井手町[4])で、中野伍兵衛の二男として生まれる[5]。漢学を修めた[2]。
1899年(明治32年)福岡県久留米市京町で久留米製材所を設立し材木商を営む[3][4]。のちに東京で合資会社中野材木店(京橋木挽町)を開店した[4]。その他、久留米材木同業組合長、九州材木連合協会長、日田実業銀行取締役、九州材木専務取締役、久留米商業会議所特別議員、同顧問なども務めた[2][4][5]。
政界では、久留米市会議員、同参事会員に在任[2][3][5][6]。1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙(大分県第5区、無所属)で当選し[4][7]、立憲民政党に所属して衆議院議員に1期在任した[2][4]。