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中野村正覚坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中野村 正覚坊(なかのむら しょうかくぼう、生没年不詳)は、江戸時代後期の一揆指導者[1]

経歴・人物

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陸奥胆沢郡中野村五宝院の山伏[1]

寛政9年(1797年仙台藩江刺郡に端を発した安価な米の買入、郡方や村役人の不正糾弾、年貢の前納反対などを求めた仙台藩史上最大の一揆の指導者のひとり[1][2]。正覚坊は胆沢郡下伊沢で一揆の指導に当たった[2]。のち捕えられ刑死したが没年は不詳。

脚注

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『中野村正覚坊』 - コトバンク
  2. ^ a b 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『中野村正覚坊』 - コトバンク